ウィークエンダー バッグに贅沢を詰め込んで

富裕層の都会脱出を斬る

  • 文: Maya Binyam
  • アートワーク: Camille Leblanc-Murray

コネチカットのカレッジを卒業した私は、サウス ダコタでトレーラー暮らしを始めることにした。そこで、生活必需品と思うものを荷造りした。何枚かの服とスニーカー、ラップトップ、寝袋。服とラップトップはバックパックに収まったが、残りはゴミ袋に詰め込んで、油性マーカーで「ゴミではありません」と書いておいた。

サウス ダコタまでの道連れはスバルでやってきた。母が彼にシリアルをふるまっているあいだに私は車のトランクを開けて荷物を積み込んだが、いざ車に載せてみると、なんだか雑多なモノの適当な寄せ集めに見える。その点、艶のあるウイークエンダー バッグにきちんと収まった彼の荷物は、れっきとした「持ち物」だった。ウイークエンダー バッグの中には「ドップ キット」と呼ばれる洗面用具専用のポーチまで入っていた。ウイークエンダー バッグもポーチも、彼のイニシャル入り。彼の母親は三か所に家を持っていたから、移動は慣れたものだ。

車で走っている間じゅう、私は彼にせがんでは、「ドップ」という言葉を繰り返し発音させた。馬鹿げたやりとりだったが、ゲームではなかった。「ドップ」という言葉は、「モップ」とか「ドロップ」とか「フロップ」とか、私が知っていた他の言葉ととても似ているのに奇妙に馴染みがなかったから、てっきり彼が勝手に作った呼び名に違いないと思った。だがそうではなく、ある人物に由来したつまらない話が本当の語源だった。つまり、1926年に元祖を考案した「ドプレット(Dopplet)」という職人の苗字を縮めて「ドップ」。その後、第一次と第二次の世界大戦中に兵士たちが愛用した結果、「ドップキット」は「洗面用具入れ」の代名詞になった。

あらゆる言語は一群の新語から始まるものだが、贅沢品のマーケティングに使われる語彙はとりわけ真偽のほどが怪しい。デジタル メディアのRefinery29が行なった「ベストな旅行鞄」の調査は、長い週末の「サバイバル」にはウェークエンド バッグが絶対欠かせないと結論している。旅行サイトのTravel Awayは、同様の調査で、Hook & Albertがデザインしたレザーのガーメント バッグを「途方もなく実用的」と形容する。価格は640ドル。収納できるのはスーツまたはカクテル ドレス2着とシューズ1足だけだから、事実、途方もない商品だ。

ファッション製品は、例外なく、購入者のライフスタイルと結びついている。購入者にとってそのライフスタイルがすでに達成済みか、憧れに過ぎないか、そこが違うだけだ。つまるところ、売り手が得る利潤は、欲求を掻き立てる宣伝能力で決まるのだ。特にウイークエンダー バッグは、使い古された言葉で喧伝される。ウイークエンダーという呼び名は、バッグそのものとバッグを重宝してやたらと褒めそやす人の両方を指すのだが、まるで、相手を得ることで互いのアイデンティティが成り立つみたいだ。独特の形は、元来、飛行機の座席の上にある荷物入れの輪郭に似せてデザインされたもので、背後に隠されたコンセプトはわずか299ドルで堂々と正面に現れる。ニューイングランドに本社を置く鞄ブランド、Forestboundのウィークエンダー シリーズ全商品に大きく太い字で書かれた「ESCAPE」の文字は、贅沢な夢の暗示ではなく明白な宣言だ。

だが、ウィークエンダーになれるのは、セカンドホームの所有率がずば抜けて高いプロフェッショナル集団だ。そんな彼らが、一体何から逃げる必要があるのか? 州政府と連邦政府が新型コロナウィルスの感染を社会の脅威として認識し、自宅の有無に関わらず、全市民を急かせて屋内へ退去させたとき、何万人というウィークエンダーたちは都市部の住宅を離れて、「田舎」という、今やわずかに残された永遠のフロンティアへ向かった。山並みや新鮮な空気といった魅力的な特色を備えていると同時に、何もない広々とした空間こそが真価を発揮する場所へ。

ニューヨークでは、量子コンピュータ企業のCEOが、妻とハバニーズの子犬をブルックリンのクラウン ハイツからコネチカット州リッチフィールドのレンタル ハウスへ移した。『ニューヨーク ポスト』紙に掲載されたインタビューによると、彼は件の貸家をベルサイユになぞらえている。マンハッタン在住の織物王は、ブリッジハンプトンにある賃貸物件へ家族を疎開させた。寝室が11部屋、ジャグジー、屋外キッチン、屋上ゴルフ コースを備えたこの邸宅には、かつてジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)、ビヨンセ(Beyoncé)、ジェイ・Z(Jay Z)も滞在したことがある。9月第1月曜日のレイバー デイまで、短期レンタルの料金は200万ドルを少し下回る程度。集中治療室は8床で隔離室は4部屋という病院と8つの自治体しかないイースト エンドで、もっとも高価な不動産だ。

半永久的な移住場所を求める富裕階級が好き勝手に州や郡を越境するにつれ、地元住民は移動の制限を政府に要請した。ロサンゼルス市長のエリック・ガルセッティ(Eric Garcetti)は、市民がセカンドハウスへ移動することを禁じた。ロード アイランドでは、州兵が戸別訪問して、州外から移動してきた住民に到着後2週間の自主隔離を警告した。ハドソン バレーでは、貸家をAirbnbの掲載から外すことを家主に要請した郡もある。ただしAirbnbには、6月にレンタル可能なシェア ハウスがまだ300件以上掲載されている。反対に、先住民所有地への進入を監視する取り組みは、州政府によって阻止されている。「ステイ ホーム」の発令を拒否したサウス ダコタ州知事のクリスティ・ノーム(Kristi Noem)は、シャイアンリバー スー族とオグララ スー族に対しても、コミュニティを感染から守るために設置した検問所をハイウェイから撤去するように要求した。

先頃ジェディディア・ブリトン=パーディ(Jedidiah Britton-Purdy)が『The Nation』誌で書いたように、「開かれたフロンティアは、最後には例外なく行き止まり、閉じられた境界線になる」。だが、アメリカの富裕層にとって、越境はちょっとした不便に過ぎない。結局のところ彼らは、迫害や健康上の障害からではなく、厄介になった都市生活から退避しているにすぎないのだ。過密状態の病院、遅滞する物流、公共インフラの機能低下を理由に、彼らは避難を正当化する。だが逃れようとしている悪条件に彼ら自身が直面することは、ほとんどない。民間保険の適用、食料品の補充、自宅に加えてセカンドハウスを持てる人たちにとって、諸々の悲劇的状況は、仮に体験することがあったにせよ、一連の些細な不都合でしかない。しかも、ニューヨークの富裕層は、自分たちが滅多に感じることのない貧窮の構成要素であるばかりか、そのような事態を作り出した要素でもある。

ジェントリフィケーションを引き起こす集団は、必ずしも富裕階級並みの高額納税者ではないが、自分たちのニーズを病的なまでに過大評価する傾向は同じだ。アイス コーヒー、グラナイトのキッチン カウンター、同日配送、その他を絶えず要求する人たちが、いったい何人いることだろうか。「快適な暮らし」には、残念ながらそういった諸々が否応なしの付随物であるらしい。かつて私が知っていた白人アーティストは、パーティーで、脈絡もなく、実はクラウン ハイツの「奥深く」に住んでいると告白するのが常だった。思うに、彼女は罪悪感を感じていて、そんなネガティブな感情をどうしていいかわからず、まるで自分が背負う十字架であるかのごとく所番地を繰り返していたんだろう。彼女とアパートの管理人はミランダ・ジュライ(Miranda July)の小説に出てくるような奇妙な関係で、管理人は彼女を「ミス」と呼び、彼女が望めば何でも解決してくれるのだった。ある朝建物を出るとき彼に送信したというテキストは、「ロビーで寝てる人がいるんだけど、もしかして、お知らせしたほうがいいかなと思って」。そんな持って回った文面でも、ちゃんと彼はわかってくれるのだ。

多くの場合、ジェントリフィケーションは必然の現象として言及されるが、現実には、申し合わせた攻撃として体験されることのほうが多い。ジェントリフィケーションの結果、コミュニティの絆は綻び、住民同士の助け合いは失われてしまった。何もパンデミックの状況に限らず、立ち退き、明け渡し、国外退去、飢餓、懲役など、日常生活で緊急事態が発生しても、もはや互助は機能しない。世界中の大都市では、ディベロッパーと地方政府が結託して、人命より私有財産に多額が投資されることを最富裕有権者に納得させる。マンハッタンでは、2015年以後に建築された高級コンドミニアムの半数近くが空いているのだ。それにもかかわらず、クオモ(Cuomo)州知事は、ニューヨーク シティで7万人を数える無住居市民にシェルターと食料を提供する包括的計画の策定を一貫して拒み、地下鉄駅構内でホームレスが寝ているのは「不快な光景」だから、ニューヨーク市警を動員して追い払う。

新型コロナウィルスの世界的感染以来、私たち個人の健康が周囲の人々の健康と絡み合っている事実は常識になった。過去にはそのことが明白でなかったにせよ、今では間違えようがない。だからといって、この図式や外出自粛の指示から、他者へ配慮する最善の方法は自分を大事にすることだと結論するのは利己的なすり替えだ。ニューヨーク脱出組のひとりに対して、それをお膳立てする人がひとりいるはずだ。一方で、食料を配達し、処方薬を代理で受け取って自宅へ届け、受刑者を収監先から保釈させるためにニューヨークで奮闘している互助組織を数えたら、とても両手の指では足りない。それ以外に、全国的な危機的状況での生活が始まるずっと前から活動を組織していたオーガナイザー、地道な再分配によって家族、友人、隣人を支援している人々がいることは、言うまでもない。

米国は、3月の初めから、ほぼ2万人の移民を国外退去させた。同期間で、ニューヨークの最富裕地区の住民の40%が本宅から去った。今後、さらにどれくらいの人数が州の北部や西部へ向けて移動し、持ち家を隔てる境界の通行止め解除は政治的な必要性だと主張するのだろうか? 富裕階級は、いつも、個人的な苦境の上に権利の剥奪という大風呂敷を広げる。だが単に贅沢に意味を与えるための比喩は、物質面での権利を安全に確保する目的にしか通用しない。好ましくない非常事態が発生すると、非常事態の加担者は犠牲者のつもりになりたがるのだ。だが、「脱出」がブランドの謳い文句であり、「サバイバル」が相応しい鞄に荷造りすることを指す限り、改善とは無縁だ。意味のない比喩はない。矛盾する意味を含んでいるだけだ。

Maya Binyamはニューヨーク在住のライター。『Triple Canopy』のシニア エディター、『The New Inquiry』のエディターでもある

  • 文: Maya Binyam
  • アートワーク: Camille Leblanc-Murray
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: May 28, 2020