合衆国というパッチワーク

アメリカン キルトを解読する

  • 文: Gaby Wilson

人が作ったモノで現在を表すとしたら、どんなモノがふさわしいだろう? Tシャツとヘア ゴムを使った手作りマスクか、手書きのプラカードか、出来損ないの自家製パンの写真か。「パッチワーク」もしっくりくる。この言葉からは、ベッドをくるんでいる手間のかかった家宝、数学的精密さと根気と鍛えられた指先の賜物といったイメージが頭に浮かぶ。一方で、他に使い道のない端切れを再利用した、有り合わせの代物だと思う人もいる。パッチワークには万華鏡と同じ性質がある。プリズムのように、労働と価値に対する私たちの捉え方を反射し、屈折する。

世界人口が広い範囲で何らかの自宅隔離の指示に従っている現在には、「自家製」という言葉もふさわしい。自宅で勤務し、家事をする。自宅外で従事する労働は、パンデミック以前は「特別な技能を必要としない」とみなされ、一転して「必要不可欠」と持ち上げられた今も、最低限の保証とわずかな賃金しか与えられない。家にいることは閉所恐怖を感じさせ、次の瞬間には慰めになり、絶えず気持ちは揺れ動く。時間給で支払われる人々、あるいは給料がまったくない人々は、とりわけそうだろう。

ハンドメイドのキルトは、パッチワークがいちばん映えるキャンバスだ。たとえばビンテージのリサイクルで有名なBodeは、色とりどりの三角形や四角形がモザイクになった幾何学模様のパッチワークを好んで使う。山や木々や鳥たちをアップリケした美しい風景で、人生の節目を語る作品もある。アーミッシュの人たちが作る目が回るようなスターバースト模様は、空間知覚能力を調べるIQテストから抜き出したようだ。精緻を極めた妙技としか言いようがない。一方で、アラバマ州ジーズ ベンドのキルターたちが思いつくままにデザインした、有機的で抒情的な傑作もある。

パッチワーク キルトは、インドから布地を輸入する財力を持ったヨーロッパ人入植者によって、北米へ持ち込まれた。当時は裕福な女性たちのための手すさびであり、他に有意義な仕事を追求することが社会に許されなかった時代に、手を動かし、日々に変化をもたらすものだった。植民地だったアメリカの大農園では、奴隷に作らせることもあった。かくして奴隷の黒人女性たちは、昼間は白人奴隷主の家庭のためにパッチワークを縫わされ、夜は拾い集めた端切れを縫い合わせて、独自のデザインを作り出した。

ヴィクトリア朝時代には、ドレスを作った際の余り布を組み合わせ、暖かい掛け布団に仕立てるクレイジー キルトが流行した。布地は豪奢なベルベットやシルク、ブロケードが多く、不規則な模様から「クレイジー」の呼び名がつけられた。深みのあるアンバー色のスエードとメタリック レザーのパネルに、ひび割れのような縫い目が走るMarniの新作トレンチ コートやシフト ドレスは、この「クレイジー キルト」を彷彿とさせる。大恐慌時代には布が払底したが、ちょうど同じ頃、販売促進のために家畜用飼料がきれいなプリントの布袋で販売され始め、庶民家庭のキルトの材料になった。パッチワークは、大衆のつましい再利用の手段と見なされていたのだ。

今、パッチワーク キルトはノスタルジックな安らぎを象徴する。ホリデー シーズンを彩るあらゆるロマンティック コメディの守護聖人であり、『ギルモア ガールズ』の舞台であるスターズ ホローの2000年代初めの瀟洒な家にも、『大草原の小さな家』のインガルス一家が暮らす丸太小屋にも、必ず姿を見せる。ソランジュ(Solange)やエイサップ・モブ(A$AP Mob)を起用したCalvin Kleinのファミリー キャンペーンでは、家族の永遠の絆のシンボルだ。『キルトに綴る愛』では、完璧に不完全な夫婦に幸運をもたらすお守り、ウィノナ・ライダー(Winona Ryder)を捕らえて結婚へ向かわせるカラフルな光源となる。家庭生活と密接に結びついたパッチワークはロマンティックな健全さを感じさせ、手作りは純粋さを暗示する。

最近まで、パッチワークの服はこうした魅力的な評価を受けることはなかった。たくさんの色が混じり合った服は、中世ヨーロッパでは宮廷の道化師、ルネサンス期には「コンメディア デッラルテ」のハーレクインが着る派手な衣装と相場が決まっていた。多くの場合、道化は顔を黒く塗って黒人召使い役を演じ、鮮やかなイエロ、グリーン、レッドのひし形模様の衣装は、宮廷のいたぶられ役であることの印だった。「fool(道化)」と「patch(つぎ)」という言葉はどちらも社会の下層というニュアンスを持つ同義語ですらあった。こうした特徴が尾を引いて、やがて白人がジム・クロウ(Jim Crow)という名前の黒人に扮した舞台が大成功を収め、黒人蔑視的なミンストレル ショーが続出した。パッチワーク キルトとパッチワークの服のあいだには断絶があった。一方は愛され、他方は嘲りの的だった。それは様式や技能に対する反応だったのか、それとも、それぞれが象徴する暮らしのうち、社会構造が守るのはどちらかを示す徴候だったのか?

パッチワークは、何世紀にもわたって女の手慰みだと軽視された後、アメリカ建国二百年祭で一躍高級芸術に祭り上げられた。ホイットニー美術館は、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock)の作品さながらにキルトを展示した。しかし、実際に手を動かした女性たちの名前が表示されることはほぼ皆無だった。その前年、同美術館が女性アーティストと有色アーティストを甚だしく軽視していることに対して「Ad Hoc Committee of Women Artists」が抗議したばかりだったから、ますます腹立たしい話だ。委員会のメンバーだったフェイス・リングゴールド(Faith Ringgold)はその後、アートに留まらず、辛辣な政治的ストーリーのキルトを作るようになった。「大地へ還れ」運動では、リソースを活かして大量消費に対抗するツールとして、寝具だけでなく、衣服にもパッチワークが奨励された。同じ精神が、今、振り子をCalabasasのアスレジャー スーツからDIY至上主義へ向かわせている。

自宅で勤務し、家事をする

パッチワーク人気が高まるにつれ、キルトの価格も上がった。1993年、スミソニアン博物館は、コレクションの数枚の複製をある企業に委託した。だが、海外労働力の利用を選んだことは国内のキルト コミュニティの怒りを買い、抗議が湧き起こった。工場生産されたキルトが流入すれば自分たちの作品の価値が落ちると危惧する声もあったし、経済と排外主義を理由に国内での複製を要求する声もあった。

子ども向けの合衆国地図を見れば、パッチワークをアメリカの精神を表す唯一無二の象徴にしたくなる理由がわかる。とはいえ、布を使ったさまざまな手仕事は、メイフラワー号以前から世界中の国々にある。古代エジプトの墳墓では、アップリケした布が見つかっている。インドにはカラフルなカウディがあり、パキスタンには緻密な模様のラリ キルトがある。ペルーのアルピレラは物語を語り、日本には、Kapitalが追求してきたデニムのジャケットやパンツのように、素晴らしい「ボロ」がある。

アメリカのパッチワークに神話がつきまとうのは、それが「独立独歩」や「創意工夫」といった国民のアイデンティティを支えるからだ。しかし、同じ観念を示す「自助努力」と同様、アメリカ神話は、アメリカのアイデンティティを削り取る。ジェンダー、人種、階級の違いに鈍感で、そもそも「違い」からパッチワークが発展したことを無視する。また、アメリカの象徴として、純真な国民であるような観念を強化し、国全体に上辺だけの公正を装わせる。

パッチワークと切り離せない労働力と家内 / 国内の綱引きは、家庭で始まり、その後、分化していったファッション産業の長い歴史とも並行している。例えばNoahやReese Cooperのように、米国メーカーの安定のために投資するデザイナーもいるが、デザインは先進国で行ない、製造は途上国に外注するのが趨勢だ。それはこのパンデミックの時代における世界規模の労働格差だ。都市閉鎖によって店舗や工場が休業すると、大手の小売ブランドはすでに製造が開始されていた注文への支払いを停止したため、材料費と人件費の両方に迫られる縫製業者は、ほぼ力の及ばないプロセスの中で梯子を外された格好だ。過去数世代にかけ、ファッションを含む多くの産業で、労働は着実にその価値を失い、製品から切り離され、視界の外縁へ追いやられている。

パッチワークのベッドカバーは、実用と装飾の目的に加えて、社会運動の伝統と結びついている。奴隷制廃止論者のキルトには暗号が縫い込まれ、黒人奴隷の亡命させる「地下鉄道」のルートを教えたと言われる。女性参政権を求めたスーザン・B・アンソニー(Susan B. Anthony)の最初のスピーチは、クリーブランドのキルト作りの集まりで行なわれた。計4万8千枚のパネルから成る巨大なパッチワークのAIDSメモリアル キルトは、1枚1枚がこの病気で失われた命に捧げられている。最初にアイデアを思いついた活動家クリーヴ・ジョーンズ(Cleve Jones)は、想像するだけで慰められるほどに心を打たれたそうだ。キルトは祖母たちの優しさを、開拓時代の女性たちの逞しさを思い出させた。捨てられたもの、余りものが集まって、素晴らしく美しいものが生まれる。多数の死と政府の怠慢で被ったトラウマに対して、キルトはあまりに融和的な象徴だと感じる人たちもいた。だからAIDS活動団体「ACT UP (AIDS Coalition to Unleash Power)」は、キルトが公開されたある日、ホワイトハウスの芝生にAIDSで命を落とした家族や恋人や友人の遺灰を播く活動を組織した。「AIDSに美しいものなど、何ひとつないことを示す方法だ」と、活動家のデイヴィッド・ロビンソン(David Robinson)は言った。「灰と骨のかけらが詰まった箱。僕に残されたのはこれだけだ」。長年AIDSメモリアル キルトを管理してきたガート・マクマリン(Gert McMullin)は現在、ボランティアたちに呼びかけて、手元に残っている大量の布で看護師や医師のためにマスクを縫っている。「人生でまさかふたつのパンデミックを体験するとは、思いもしなかったわ」と、彼女は最近のインタビューで語っている。「そして、その両方のために縫物ができるとはね」

4月2日、上院少数党院内総務のチャック・シューマー(Chuck Schmer)議員は、大統領へ書簡を送り、「アメリカは、統合されていない有志の努力のパッチワークに頼って、この恐るべき規模のパンデミックに対抗することは不可能だ」と警告した。市長たちと物資をめぐって争う州知事たち。ゴミ袋製の防護服で働く医療従事者。人工呼吸器を改造した換気装置。シューマーの言葉は現状の正確な総括だが、比喩の使い方は皮肉だ。そこには言葉の意味の半分が欠けている。ひとつにまとめる努力がなされない限り、それらは切れ端すぎないのだから。

いくつもの矛盾を抱えつつも、パッチワークは、作品と過程の両方からとらえたときに本来の姿を見せる。ばらばらになった多くの断片を繕うとき、癒しが生まれる。今、カービー・ジーン=レイモンド(Kerby Jean-Raymond)の「Your Friends in New York」プログラムをはじめ、相互扶助の取り組みや救援基金がぞくぞくと現れ、飲食店の従業員やフリーランサー、小規模事業主、高齢者や身体の弱い隣人とのギャップを、食料、物資、金銭的な支援で埋めている。とても十分ではないが、これが今できる精一杯だ。これらは断片だ。理性的でもあり感情的でもあるこんな断片を縫い合わせて、私たちは色とりどりのずっしりと重いブランケットを作ってきた。未来へと向かうために。

Gaby Wilsonはニューヨーク在住のライター、ジャーナリスト。記事は、HBO局の『VICE News Tonight』やMTVに登場したことがある

  • 文: Gaby Wilson
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: July 28, 2020