トレンチ コートの底力
アレックス・ローナンが、Burberry、ガジェット警部、不道徳、明白な事実を考察する
- 文: Alex Ronan

巨額詐欺を働いたバーニー・マドフ(Bernie Madoff)が、保釈金を払ってアッパー イースト サイドの高級アパートへ帰ってきたとき、トレンチ コートは着てはいなかった。だが、そう思わせた『Integrity In Business』の著者を、僕は許せる。マドフがトレンチ コートを着ていたとしても、ちっとも不思議じゃなかった。トレンチ コートはずっと以前から詐欺師や悪党のシンボルだったし、どういうわけか、ひたすら職務に励む探偵や正義漢のシンボルでもあるからだ。Google クロームは、閲覧した履歴やデータが残らないシークレット モードを導入したとき、トレンチ コートを着て中折れ帽をかぶった人物のイラストをロゴにした。あれは、僕たちのいかがわしい検索履歴が秘密裏に守られることを暗示したのか、それとも、そんな油断はできないぞ、と釘を刺していたのか? おそらく前者だろうとは思うが、先頃そのロゴはアップデートされ、中折れ帽は残ったがトレンチは消えてしまった。
とはいえ、プリンセスにポップ スター、80代のご老体にZ世代、ファッション ピープルにファッション無頓着ピープル、ついでに多大な時間を費やしてファッションなんか気にしないと声高に主張するピープルまで、あらゆる人がトレンチ コートに手を伸ばす。今にも下から裸体が現れるんじゃないかと妄想させる刺激的な挑発と、仕事が終わった後の一杯によく似合う生真面目さ – トレンチ コートのどこから、そんな両面性が生まれるのだろうか? トレンチ コートを着ると、ぴったりなでつけた髪といい、ピカソ(Picasso)でさえ、まさに「胡散臭い」という言葉がぴったりな80年代のヤッピーなビジネスマンに見えるのは、一体どういうわけだろう? かたや『ティファニーで朝食を』の熱烈なファンと、もうかたや会話に「ハイプ」というトレンディな用語を散りばめる人種、その両者に共通して愛される衣類がほかにあるだろうか? ランウェイから決して姿を消すことのないトレンチ コートは、それぞれの時代を明確に反映しているが、なぜか、時代遅れに感じることはない。

左から:Gucci 2019年秋冬コレクション、Off-White 2019年秋冬コレクション、Raf Simons 2019年秋冬コレクション
Raf Simonsの自身の最新コレクションは、「あのゴタゴタが起きるずっと前に」デザインしたものだそうだ。Raf Simons 2019年秋冬ショーの説明だが、わずか数か月前、ファッション界に衝撃を与えた決別事件を語るにしてはなんとも控え目な表現だ。当然ながら、ファッション界は、シモンズがCalvin Klein 205W39NYCを離れてから初めて行われた、自身のショーに注目した。シモンズは言葉にして多くは語らなかったが、数々のトレンチ コートで応えた。パウダー ブルーのトレンチでは、右肩を覆うガン フラップを残してあるが、ウエストは細いブラックのタイで絞られている。元来軍の記章や階章を留めた場所には、エナメルの花が付けられている。平和を謳う要素と武器を取って戦う要素…トレンチで表現された答えは極めて明瞭だ。彼はすでに、次の一歩を踏み出している。
BurberryとAquascutumは、どちらも、第一次大戦中にトレンチ コートを発明したと主張している。確かに、Burberryが1912年に作ったタイロッケン コートはトレンチの原型に見えるが、1914年にトレンチを完成していたかに関しては、若干曖昧なところがある。一方のAquascutumは、1914年に最初のトレンチを生産している。BurberryもAquascutumもそれ以前から英国軍との繋がりがあったし、やがてトレンチに使われる生地を第一次大戦前から扱っていたから、単独の生みの親を特定するのは難しい。もっと前の軍服が下敷きになっている事実を考慮すると、厳密な起源まで遡るのはさらに難しい。何はともあれ、以前のウール製に比べて動きやすく、通気性と防水性を備えた生地の外套は、湿った塹壕での戦いに欠かせないものになった。そこから「トレンチ – 塹壕」の名が付けられた。トレンチ コートは機能一辺倒ではない。ショルダー ストラップで肩章をつけられる正装として通用したから、20世紀初頭の戦場へ赴く士官にふさわしい華麗な装いでもあった。推定によると、第一次大戦中、英国軍士官のために50万着のトレンチコートが生産された。現代であれば、戦争よりランウェイ ショーに近い、ちょっとした見ものになるところだろう。
明らかにトレンチ的な要素と、トレンチとは別方向を向いた要素の相互作用は、道で誰かと目が合って、それが見ず知らずの他人ではなく、ここ何か月か顔を見なかった友人だとわかったときの感覚に似ている
トレンチ コートのクラシックなシルエットは変わらないが、デザインは度重なるリメイクを経てきた。Proenzaの2019年秋シーズンでは、かっちりしたデザインに、何気なく肩にかけたスカーフの要素を組み込んでいる。Gucciは鋭角なフラップを選んだ。川久保玲(Rei Kawakubo)が複雑にデザインしたComme des Garçons × Burberryは、コートというより、鋭利な花びらの牡丹の花に見える。Enfoldは、遊び心のあるダブルフェイスのトレンチ。ケープにもトレンチコートにも見えるSacaiのバリエーションは、さしずめ、竜巻に巻き込まれた後のトレンチだ。
「僕が頭に描いたのはガラスの男だ。それは何も、弱さを意味する必要はない」。最新コレクションを語った、クレイグ・グリーン(Craig Green)の言葉だ。「強さを意味することだってできる」。そこでランウェイには、ティールとテラコッタのコートが登場した。トレンチを緩くとり入れ、武道から着想したベルトが配されている。明らかにトレンチ的な要素と、トレンチとは別方向を向いた要素の相互作用は、道で誰かと目が合って、それが見ず知らずの他人ではなく、ここ何か月か顔を見なかった友人だとわかったときの感覚に似ている。最初に思うのは、「なんだ、君だったのか」。次に思うのは「髪型、変えたのかな?」
第二次大戦後のアメリカでいちばん驚きだったのは、トレンチ コートが国境ではなく、ジェンダーの境界を越えたことだ。ハリウッドの女優たちは共演する男優たちのトレンチを横取りして、トレンチの定義を書き換えた。当時のステレオタイプにしたがって、男の稼業である「戦争」の記念を奪取し、女の家業である「セックス」にすり替えた。グレタ・ガルボ(Greta Garbo)はいち早くトレンチを着てみせたし、マレーネ・ディートリッヒ(Marlene Dietrich)はトレンチをシグネチャにした。

Merryl Streep、『『クレイマー、クレイマー』
どうして女性は男性の衣服を「盗用」する傾向が強いのか? 「それを考えるのは、心理学者の仕事だな」。当時ウィメンズ用にトレンチコートを販売していた退役軍人のアパレル ディーラーが、1957年にジャーナリストに語った言葉だ。だが、博士号などなくとも、答えは至極簡単だ。女性が盗もうとしたのは、男性の傲慢だった。女性に押し付けられた単調な仕事にトレンチで出かけることは、男性たちの立場を貶める行為とも受け取られた。「トレンチを買う女性たちは、傷病兵の介護にいそしむ婦人団体ではなく、スパイ活動のメンバーになったつもりでいる」と書いた男性ジャーナリストの嘲りには、内心の危惧が表れている。それから数十年後、『クレイマー、クレイマー』では、男性から衣服以上のものを奪う女性に対して葛藤する心理が表出した。メリル・ストリープ(Meryl Streep)と彼女が常に手放さないトレンチ コートは、夫と社会の勝手な思い込みに立ち向かう。
だが、トレンチ コートを着てもなおかつ、大抵の場合、女性は見られる側の立場に置かれていた。50年代の女性向けトレンチの広告には「絶対、誰かがあなたの後を追っている気分になります」のコピーがある。20世紀中頃の銀幕に登場するファム ファタールは、重要なことから男性の目を逸らして肢体に引き寄せ、致命的な威力を発揮した…獲物を惑わし、罠にかける。見張られる側の着衣が、見張る側の着衣でもありうる。トレンチに両者の力関係が象徴される。ゆっくりと焦らすように脱ぐのは色仕掛けのしるし、大急ぎで袖に腕を通すのは探偵だ。彼女は謎、彼はその謎を解く。
そしてここ数十年の間に、本来、スキルに長けた – そして多くの場合、感情を出さない表情と喫煙がセットになった – 男を暗示したトレンチは、クルーゾー警部やガジェット警部といった、ドジな刑事を象徴するコートへと軟化した。TVアニメ『ボージャック ホースマン』の馬のくせに人間みたいな主人公は、レギュラー キャラクターのビンセント・アダルトマンを「絶対、トレンチ コートの下で、子供3人が積み重なってるに違いない」と見る。昨年のことだが、トレンチ コートの下で肩車をして重なった2人の子供が、PG-13指定(13歳未満の鑑賞には、保護者の強い同意が必要)の『ブラック パンサー』を観るために、映画館に潜り込もうとしたし、別の二人組は同じ方法でビールを買おうとした。ヨロヨロしながらビールの6本パックを持ってレジへやってきたやけに背が高い男は、身分証の提示を求められると、職場の探偵社へ置いてきたと答えた。
僕がニューイングランド大学に在学中、構外に下宿していた学生たちは、ひとりの露出狂に悩まされていた。特に頻繁に出没した通りの名から「ジョン・ストリート・マスタベーター」と呼ばれたその男は、裏庭とかゴミ箱の横に現れては、宿題をしたり夕飯の準備をしている犠牲者がふと目を挙げる瞬間を待ち受けるのだった。ありがたいことに僕自身は目撃したことはないが、最近になって気付いたことがある。長いあいだ僕が創造していた彼のイメージが、今では、大学生に露出してみせる変態というより、 ポスト インターネット アートのオープニングに行くような人間に近づいていることだ。いつの間にか、「ジョン・ストリート・マスタベーター」は、New Balanceのスニーカー、(当時はスウェットパンツが流行する前だったのに)足首を絞ったグレーのスウェットパンツ、そしてトレンチ コートの姿に変わっていた。

そんな連想をするのは、なにも僕一人ではない。2012年、男性の権利拡大を求める有名な活動家が、全裸の上にBurberryのコートをはおった露出狂、通称「Burberry男」が性犯罪を引き起こしていると非難したことがあった。曰く、「そういうやつらを捕まえて、Burberryのトレンチ コートの着用を禁止するべきだ」。 トレンチ コート姿で映画やテレビに登場する人物は、従来、偽りを暴露する側か、偽り自体に関与する人間と相場が決まっていた。露出狂に犯罪者…そんなネガティブな関連にもかかわらず、トレンチ コートが幅広く数多くの人に発揮する魅力は影響されないようだ。「ずっと健在なのはトレンチコートだけですよ」。かつてそう語ったのは、ジャック・リップマン(Jack Lipman)。レインコート製造会社Drizzleの創設者にして、ニューヨーク レインコート協会の元会長、しかもコート製造業に携わる2代目という同氏の言うことだから、間違いない。
事実、トレンチ コートの魅力はネガティブな連想を十分に埋め合わせて、あまねく通用する。イギリスのジェントルマン、ゴスのティーンエイジャー、60年代の過激な思想家、昔気質な年配の男性諸氏…あらゆる人にトレンチは愛される。イギリスで誕生したにもかかわらず、ブリジット・バルドー(Brigitte Bardot)やカトリーヌ・ドヌーブ(Catherine Deneuve)の着こなしを見ると、発祥の地はフランスかと勘違いしそうになる。デヴィッド・ボウイ(David Bowie)やデヴィッド・ホックニー(David Hockney)など、「デヴィッド」の名前の人に人気がある。2001年に「どうして新しいトレンチ コートを着ないんだい?」と歌ったのは、ザ・ストロークスだ。架空の女性雑誌社で働く、ロマンス コメディの女性たちに欠かせない。現実の女性雑誌のエディトリアルでも、マスト アイテムのリストには – アイテム数の多少にかかわりなく – 必ずトレンチ コートが挙げられる。今日では、パパラチに狙われるモデルが、高級ホテルのロビーから路上でアイドリングしながら待機するSUVまで、数メートルを移動するのに着用する。トレンチ コートは、常に動き続ける。それが僕の言わんとすることだ。戦場での酷使に耐えるコートは、今や、様々なタイプのファンと攻防に駆り出される。
「体全体を包み込んでくれて、永久に着ていられるわ」。ダナ・キャラン(Donna Karan)は、DKNYで最初に作ったトレンチをそう表現した。「小さい子供が手から離さない毛布と同じよ」。2019年のギグ エコノミー環境では、トレンチの緩いデザインが非正規雇用軍団を守ってくれる。だが、トレンチの真の威力は行動性あるいは瞬発性にある。ウエストのベルトをきゅっと締めて、ドアをバンと閉じる。いちいちボタンを留める時間なんか要らない。深いポケットには、「携帯、鍵、財布」という現代人三種の神器が楽々収まる。素材は全天候対応。動きやすいシルエットで、行動準備は万端。
トレンチコートのことを考えると、必ずピリ・トーマス(Piri Thomas)が頭に浮かぶ。トーマスは、回顧録『この汚れた街を行く』を刑務所で書き始めた。後に彼は述懐している。「オレは街の二流市民だった。だから、刑務所に入った途端、三流市民というわけだ。刑期を終えて街へ戻れば四流市民。そこで俺は言ったんだ。『冗談じゃないぜ、ベイビー。街へ戻ったら、一流市民になるからな』」。ハーレムの建物の屋上でマヒモ・コロン(Máximo Colón)が撮影した写真には、落書きされたドアを背景に、トレンチを着たトーマスが堂々と立っている。両手は体の前で合わされている。スティール写真なのに、両手の動きのエネルギーが伝わってくる。寒くて両手を握り合わせたのか、何らかの区切りに「パン」と手を打ち合わせた
Alex Ronanはニューヨーク出身のライター。現在はベルリンに在住
- 文: Alex Ronan
- 翻訳: Yoriko Inoue