僕たちがジーンズを痛めつける理由

ブリトニーからBalenciagaまで、ダメージ デニムの事実と虚構

  • 文: Christopher Barnard

ここのところ、デニムにダメージが加えられる場面にハマっている。具体的に言うと、傷ひとつない新品のブルー ジーンズに、一連の手順を加えて穿き古し感や、「ヒゲ」を作り出す動画を、次から次へと見続けて止められないのだ。「ヒゲ」というのは業界用語で、脚の付け根部分にできる、擦れて色落ちした折りシワを指す。世界中でジーンズが工場に持ち込まれ、インディゴ染めのキャンバスにダメージ加工のプロたちが腕を振るう。その手さばきは、脳のオーガズムとも例えられるASMR動画や、吹き出物の膿を出し切る動画と同じく、理屈抜きの快感をもたらす。きちんとあるべき状態に終わった、という達成感を感じさせる。擦り、洗いざらし、打ちつけ、切り裂き、最終的に目指すのは「ジーンズのあるべき姿」、いかにも穿き倒した様子のジーンズだ。

「ヒゲ」は動きと時間によって作られる。いわば、生活を刻み込んだ折りシワだ。今シーズンのエディ・スリマン(Hedi Slimane)を穿いたブルジョワ女性であれ、シャトー マーモントに現れた2002年のタラ・リード(Tara Reid)であれ、「ヒゲ」があれば、ジーンズ本来の在り方という僕たちの信念が満足する。現在のファッション界が豪華さを打ち出していようが、品の良さを売り込んでいようが、関係ない。ダメージ加工はデニムの「らしさ」を演出し、労働や人生体験を暗示する。同時に、「装うこと」の法則も立証している。デニムと同じくらい長い歴史を持つその法則とは、「真実として通用するまで、嘘をつき通せ」だ。

ジーンズを痛めつける方法は無数にある。ケミカル ウォッシュ加工、サンドブラスト加工、物差し大のやすりによる摩擦、本物の石による摩耗、そして最新技術のレーザー加工。動画は、中国やバングラデシュの工場の光景であったり、家の中に転がっている鋭利な物体や腐食性薬品を利用してさまざまなダメージ効果を出す、DIYの手引きであったりする。目を離せないのは工場のほうだ。熟練の工員が次々とジーンズの生地を叩きつけ、引っ張る手際の良さは、見ていて惚れ惚れする。唸りを立てて回転する機械の至近距離まで手を近付けて、生地を削り取る場面は呆気にとられる。図らずもデニム衣類を生産する現場の危険性が暴露されてしまうのだから、それらの動画が意図的に撮影されてオンラインに現れた経緯は、謎ではある。だが、手間のかかる作業と膨大なリソースを消費する製造連鎖は、需要に応えるためにある。意図的かつ技巧的な処理によって着古した外見を与えられたデニム、斬新で完璧な新品を突きつけるラグジュアリー ファッションの対極に位置するデニムが求められているのだ。それにしても、なぜジーンズに限って、僕たちはあからさまな劣化を工作するのだろうか?

画像のアイテム:ジーンズ(Balmain) 冒頭の画像のアイテム:ジーンズ(Levi's)ジーンズ(Junya Watanabe)ジーンズ(Levi's)

デニム生地は、コットン糸を織って染色したものだ。最初は18世紀、フランスとイタリアの兵士や農夫が愛用した。「デニム」はフランスの産地を示す「de Nîmes=ドゥ ニーム」、「ジーンズ」はよく使われたイタリアの街を示す「Genoa’s=ジェノアズ」に由来する。だが何と言っても、デニムの歴史が大きく変わったのは、リーバイ・ストラウス(Levi Strauss)とジェイコブ・デイビス(Jacob Davis)が特許を取得した1873年だ。このときから、現在僕たちが日常的に目にする、リベットを使ったスタイルが定着した。ストラウスとデイビスのジーンズを愛用したのはアメリカ西部の金鉱掘りや農夫だったから、丈夫で気軽な衣類という特色とジーンズが結びついたのは、ごく自然な成り行きだった。そもそも「ブルー カラー」の「ブルー」だって、機械工や鉱夫や農民が着ていたデニムのシャツを指したのが始まりだ。耐久性と並んで、デニムの長所のひとつは汚れが目立たないことだった。着初めの色が濃いときは、特にそうだ。つまり、デニムが当初に果たした役割は、実用的で汚れても大丈夫なことと、実直な肉体労働での使用に長きにわたり耐えることだ。「ファッション」とみなされるものとは、特に何世紀も前には、大きくかけ離れていたのだ。堅牢で長持ちするがゆえに、経てきた時間と労働を示す印がそこかしこに残り、着ている人が歩んできた人生も一目瞭然だった。

1950年代を迎える頃には、『理由なき反抗』や『乱暴者』といった映画の衣装に選ばれて、新しいイメージが生まれた。リーゼントと革ジャンに象徴される「グリーサー」たちが機械工を真似てジーンズをはくようになり、ティーンエイジャーの憧れのスタイルになった。以来、僕たちの生活からジーンズが消えたことはない。ワッペンや刺繍で飾られたヒッピー時代、パンクに切り裂かれた70年代、石といっしょに洗われた80年代、そして90年代後半にはヒゲ加工の時代に突入した。控えめなものもあるが、多くの場合大仰に脚の付け根を横切るラインは、長年着用していれば自然にできる本物のシワを模したものだ。折りしも、McQueenがヒップの割れ目がみえるほどローライズの「バムスター」をデザインし、ジョン・ガリアーノ(John Galliano)が切り裂きだらけのデニムをDiorのランウェイに登場させて、パロディのような誇張と独創性を表現した頃だ。引き裂いて大きな穴を開け、クリスタルで飾り立てたジーンズも登場した。ポップ ミュージックのアイドル歌手たちが揃いも揃って、原形を留めないほどに切り、洗いざらし、ヒゲを付けたジーンズを穿いて、時代のシンボルになった。それに組み合わせたのは、大判のハンカチを巻き付けたトップス、やたらストラップの多いハイ ヒール、小粋な帽子、ぴちぴちの前ポケットにつっこんだTモバイル サイドキック4G。ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)もクリスティーナ・アギレラ(Christina Aguilera)もキーラ・ナイトレイ(Keira Knightley)も、ウェストバンドのすぐ上に平らな腹がのぞくスタイルが大好きだった。そんな視覚イメージは、強烈に、最高にホットに、世代の脳裏に焼き付いたのである。

画像のアイテム:ジーンズ(Levi's)

90年代後半から2000年代初期にかけての退廃的なダメージ加工は、Celine、BalmainJunya Watanabeに見られるとおり、ほぼそのまま現在に受け継がれている。ストリートでは、「生」とか「ノンウォッシュ」と呼ばれる未加工デニムのジーンズに「ヒゲ」が加工されているのは、例外ではなくお約束だ。まったく同じものはふたつとない。したがって値も張る。このことはとりもなおさず、加工されたスタイルがあまねく行き渡っている現状を示しているわけだが、ともかくも、人為的にダメージを加えられたジーンズの人気は衰える様子がない。YouTubeで目にした工場労働者たちの手は、パリの高級婦人服ブランドのためにせっせと縫い刺繍をしたお針子たち、別名「小さな手」と呼ばれた女性たちを思い出させる。デニムは製造ラインに乗って生産されるのに、来る日も来る日も、誰かの手が唯一無二の印を付けていると思うと、それぞれのデニムにそれぞれの歴史が刻まれているかのごとく錯覚させる。

2008年、カリフォルニア州ランズバーグの廃鉱で、1898年当時のものと思われるLevi’sのジーンズが見つかった。ゆっくりと滴り落ちた2世紀にかけての時に浸されていたものの、完全な姿が保たれていた。鉱夫がはいていたものを置き去りにしたらしく、土に埋もれていたせいで、いくら頑張っても決して工場では再現できない素晴らしい「ヒゲ」が出来上がっていた。もっとも今から10年後には、そんな「ヒゲ」さえ再現されているだろうが…。ともあれ、eBayでそのジーンズに3万6000ドルの値が付いたのは、穿き古されたデニムが僕たちのプラトニックな理想であることの証だ。だがしかし、そのジーンズをはいてストリートへ出たとき、中国の広州の工場で作られたLevi’sと見分けがつくのだろうか? なぜ僕たちは、1世紀も土に埋もれていたように見えるジーンズを穿きたいのだろうか? このBalenciagaのジーンズは、現在デザイナーを務めるデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)らしい意外なシルエットに、2002年あるいは1902年のLevi’s 501モデルと同様の「ヒゲ」とダメージが加工されている。クリストバル・バレンシアガ(Cristobal Balenciaga)がもし本当に「エレガンスとは削ぎ落とすこと」と言ったとすれば、このジーンズには「エレガンスとは本質を抜き取ること」が当てはまるのだろう。

Christopher Barnardはニューヨーク、イースト ヴィレッジのライターである

  • 文: Christopher Barnard
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: October 24, 2019