XXLサイズの靴が中指を立てる

厚底スニーカーの影響をBalenciaga、Nike、Eytysを通して解体する

  • 文: Erika Houle

Balenciagaのトリプル SやEytysのAngel、またはAcne StudiosのManhattanが登場するはるか以前から、ゴツいスニーカーのブームというのは存在した。そのゴツい形態は、巷で流行っているメインストリームのシルエットやライフスタイルを取り入れながら普及し、進化を続けている。靴を通して必要以上に空間を支配するというのは、世界の中で自分がどのように認識されたいかについて、ある種のステートメントを発する行為である。そして今日、いまだかつてないほどに、私たちの世代は自己主張の場を求めている。だが同時に、自身を守ることにも関心が高い。自らの足跡を拡大し、真の姿を隠蔽してくれる厚底スニーカーのおかげで、私たちはさほど危険を冒すことなく、人の注目を浴びることができる。一歩足を踏み出すたびに、理想の存在として好きなだけ楽しめるのだ。

NikeのAir Max 1やReebokの初代ポンプを思い起こしてみよう。両者ともに発売が開始されたのは、1980年代後半という、過剰と贅沢、そしてソバージュ ヘアーやショルダーパッドの時代である。この時代を反映して、クッション性や衝撃の吸収性がより高い靴が作られた。次の1990年代とそれに伴うガール パワーの高まりの中では、忘れてはならないBuffalo Londonのプラットフォーム ブーツが登場し、スパイス・ガールズ(Spice Girls)が絶賛した。これは、今日で言うなれば、シザ(SZA)が発信するメッセージと同様の効果をもたらすものだった。2000年初頭は、Phat Farmのシェルトウのスニーカーが全盛期を迎えた。直線の縞が特徴で、それ自体ですでにマンガっぽい形とダサい名前の響きを、さらに誇張して表現している。ダイアルアップ接続のインターネットとLimeWireのダウンロードのスピードに頼るしかないローテクな時代に、なかなか重い腰、ならぬ「重い足」が上がらず、もたもた生活していれば、何らかの問題に直面しない方がおかしい。さらに、もう忘れ去られているかもしれないが、同時期にOsirisが、時代の象徴とも言えるD3 スニーカーの販売を開始している。スケート文化が、ファッションをはじめ様々な分野で取り入れられ始めた頃のことだ。当時は、特にスケーターでもないのに、スイカにも例えられるような二層構造の靴を履いていれば、逆に笑い者になったものだ。

厚底スニーカーに対する私たち現代人の執念は、流行が過ぎても続く。これは、ファッションにおけるより大きな流れを読み解くことで、理解できる。ここ数シーズンに渡り、繊細で華奢なものを拒み、むしろダボっとした不恰好さを支持してきたのはなぜなのか。ふっくらしたシルエット、不釣り合いなまでにたっぷり余らせたレイヤー、そして巨大なダウン ジャケットのミームがますます存在感を増している中、Instagramのファッション アカウントがこの理論を裏付ける。@bleumodeの発起人で、ニューヨークを拠点にするフォトグラファーのジュリアン・ブデ(Julien Boudet)は、「ちっちゃくて細いスタイルからどれほど遠ざかったかを考えるとかなり面白い」と言う。「90年代に高校生だった頃は、履いたときに大きく見えすぎないよう、少し小さめのエアマックスを買ったものだ」と彼は話す。「それが今は真逆になっている。『ダサい』ものに立ち返って、それをカッコいいということにする必要があった」。2足もトリプル Sを所有する彼の言うことだ。一理ある。歩くたびに普段より余計にギュッギュッと靴底にクッションを感じるのは心地よい。ヌバック レザーの持つどっしりとした重みや、3層に重なったラバーソールによって、足元の安定感もぐっと増す。私たちの服装がボリューミーな方向へ向かう中、靴もまた同じ方向へ向かうのは当然の流れだろう。

だが、シューズがゴツくなればなるほど、ためらいの声も聞こえてくる。「人々は常に『実用的な』靴の話をしている」とEytysのデザイナー、マックス・シラー(Max Schiller) は話す。「でも実用的になりたい人なんているか?」と。もしメインストリームのファッション メディアから「不恰好」と見なされることが、最新の勝負どころであるなら、勝者はまさに「不恰好だけど最高」、もっと正確に言えば「全体として不恰好」な厚底スニーカーである。卵のパック、レンガ、一斤丸ごとのパン、カバ、ヘルメット、山、モンスタートラックなどを彷彿とさせるモデルが次から次へと登場するのを見れば、なぜゴツいスニーカーが批判の格好のターゲットになるのか、理解は難くない。だがそのフォルムは、このシューズの魅力の一部なのだ。ストラップのついたピンヒールとは正反対に、子どもっぽさをも感じさせるスタイルは、快適さを生み出す。そして、その独創的なフォルムは、並外れたサイズ感と、守られているような履き心地の副産物なのだ。このボリューム感からくるインパクトこそ、シラーがデザインする際のインスピレーションの源になっている。「靴とは何か真剣なドラマを描くことができるもの、つまり、ただの引き立て役ではなくスタイルを定義できるものだと考えるのが好きなんだ」と彼は言う。

私たちの服装がボリューミーな方向へ向かう中、靴もまた同じ方向へ向かうのは当然の流れだ

画像のアイテム:スニーカー(Calvin Klein 205W39NYC) 冒頭の画像のアイテム:スニーカー(Acne Studios)

この厚底靴を好む傾向はまた、ミレニアル世代のノスタルジーに対する執着にも繋がっていると考えられるだろう。私たちは、自分たちの青春時代を美化し、服を通して過ぎ去った過去の時代を呼び起こすことに病みつきになっている。厚底スニーカーは、足を幼児化し、文字通り、過去に私たちを結びつけることで、この欲求に応じてくれる。映画『ノッティングヒルの恋人』でジュリア・ロバーツ(Julia Roberts)の履いていたVansのプラットフォームを覚えているだろうか。黒いベレー帽と小さなサングラスに合わせた彼女のスタイル全体は、あたかもTumblrから直接引っ張ってきたかのように、今でも十分に通用するものだ。あるいは、ジム・ジンキス(Jim Jinkins)のアニメ『ダグ』はどうだろう。主人公のダグは、ニットセーターのベストにカーキ色のショーツ、白の分厚いソックスに、巨大な赤のスニーカーというスタイルで、これはデムナの現代版ミューズとしても十分に通用するのではないだろうか。さらに、Skechersの記念碑的な広告キャンペーンは言うまでもない。このときのクリスティーナ・アギレラ(Christina Aguilera)が、フィッシュネットタイツとスニーカーの組み合わせのトレンドの先駆けとなり、堂々のカーダシアン家の面々は、流行がくる以前からアスリージャーを身につけていた。今日の厚底スニーカーは、いずれも私たちの子ども時代のリメイクのように思える。

ジェリー・ サインフェルド(Jerry Seinfeld)からトレイシー・エリス・ロス(Tracee Ellis Ross)まで、厚底スニーカーの守備範囲は、モード好きなファッションリーダーの領域を優に超えて広がっている。それどころか、大衆文化やその先にある広い世界に対して、永遠に進化を続けながらノーを突きつけるアイテムとなっている。このことを最もうまく表現しているのが、The Wingが発行する雑誌『No Man’s Land』の副編集長ライア・ガルシア(Laia Garcia)だ。「存在自体が、巨大な『中指を立てる行為』そのものなのだ。実際のところ、今の時代、世界に対する感情で世間一般に支配的なものがあるとすれば、それは基本的には中指を立てるような気持ちである」と彼女は言う。「このような今日において、厚底スニーカーは完璧な靴だ」

Erika Houle はSSENSEのエディターである。モントリオール在住。

  • 文: Erika Houle
  • 画像提供: SSENSE デザイン チーム