ワイルド スピード ファッション
Bottega VenetaやC.P. Companyなど、クルマに愛を捧げたデザイン
- 文: Melvin Backman

勢いよくドアを閉める。イグニッションを回す。クラッチを踏み込む。ギアを入れる。アクセルとブレーキを華麗に操る。フロントガラスから日光が差し込み、屋根を雨が叩き、グリルに氷塊がこびりつき、ブレーキ キャリパーから弾き飛ばされた粉塵がスプリングと車台にぶつかる。多くの人が1日、1週間、一生の多くの時間を車の中で過ごし、これらの動作を繰り返し、さまざまな天候の中へ出て行く。疑問が湧いて当然だろう。「車に乗るとき、私たちは何を着るのか? なぜそれを着るのか?」

Tyrone Lebon, Bottega Veneta FW19
「空間をまっしぐらに突き進んでいることを全身で感じる」とレポーターに語ったのは、レーサーの草分けであったバーニー・オールドフェルド(Barney Oldfield)。1903年にアメリカ最速の時速97kmを達成したときの言葉である。「体の下でマシンが振動して、シリンダーがドラムのように鼓動を打つ。渦巻く埃の中を猛スピードで突っ走るとき、クルマは生き物になるんだ」。これほどに偉大な行為に裸で臨むことは、もちろん許されない。レザー、ゴーグル、グローブの出番だ。発明当初の車は御し難い野獣であり、運転には丈夫な装具が必要だった。Bottega Venetaのダニエル・リー(Daniel Lee)は、明らかに、「スピード」というレガシーに熱い視線を向けたビジョンを展開している。スクエア トゥのサンダルはアクセル ペダルと同じ形だし、タイロン・ルボン(Tyrone Lebon)が撮影した2019年秋冬シーズン コレクションでは、モデルの横で、宙吊りにされたゴールドのランボルギーニがポーズをとっている。その姿は、重力の形で超高速スピードの恐怖を感じさせる。
誕生間もない車を、富裕階級は飼い慣らそうとした。それも、豪華に、上品に。ここで初めて、ファッションと車の深い繋がりが生まれた。女性初のレーシング ドライバーであったドロシー・レヴィット(Dorothy Levitt)は、早くも1909年に発表した自動車ガイド『The Woman and the Car』で、最新の車はオープンカーではなく、「箱型の馬車に乗っているのとまったく変わらないから、どんな服装でも問題はない」し、「通常の条件でドライブするのであれば」、ゴーグルなど、露出した状態での高速移動に必要な装具を身に着ける理由は見当たらない、と教えた。概して、「季節に応じて、ドライブしないときとまったく同じ服装」で構わないとも書いている。ただし、「ブッチャー ブルーかブラウンのリネン」の画家が着るようなつなぎの作業着と小型ピストルの携帯をアドバイスしている。前者は、機械油が付着するおそれがある場合、後者は何かトラブルに遭遇した場合に備えてのことだ。

C.P. Company Mille Miglia Hood
その後1世紀以上のあいだ、車を運転したり車に乗ったりする行為がファッションに影響を及ぼさなかったわけではない。風を切るコンバーチブルに合わせて、サングラスとたなびくシルクのスカーフが数限りなく登場した。車が広く普及するにつれ、機械的な要素からの影響が大幅に減じたことも確かだ。カービー・ジーン=レイモンド(Kerby Jean-Raymond)が『ニューヨーク タイムズ』紙に語ったところによると、彼が父に捧げたPyer Mossの2017年秋冬コレクションは「父が乗ったクルマと、父が身につけていた過剰なジュエリーへのオマージュ」だが、明らかに車を思わせるディテールはほとんど含まれていなかった。その点、本来の危険性が多く残るバイクに関連して、特有のファッションが多く進化したことは大いに頷ける。例えば、ダブル ライダース ジャケット、Belstaffのバイク専門用品、Fryeのモーター サイクル ブーツ。車では、いついかなるときも「10時10分」の定位置でハンドルを握るための運転用手袋とか、適切なペダル操作のために凹凸をほどこしたゴム底のドライビング シューズとか、危険に直結したわずかな部分にのみ、特有のファッションが存在する。カルト的に崇拝されたデザイナー、マッシモ・オスティ(Massimo Osti)のDNAを継承するC.P. Companyには、ファン垂涎の「Mille Miglia」ジャケットがある。イタリアで開催される有名な耐久レース「ミッレ ミリア」に因んでデザインされ、命名されたこのジャケットでは、ドライバーのゴーグルがフードに縫い付けられている。ティム・コペンズ(Tim Coppens)は、以前1970年代フォーミュラ1の防火スーツをヒントにしてコレクションを作ったと『エスクァイア』誌に語っている。いわく、何事も当時のほうが「華やかな魅力」があったから。「レースはまだ危険なスポーツで、ドライバーは生きて車を出られたことに感謝した」時代だ。2020年秋冬シーズンでイタリアのメンズウェアにオマージュを捧げたJunya Watanabeでは、カー コートとレーシング ジャケットが一体化していた。コラボレーションしたパートナーは、タイヤのPirelli、ホイールのCampagnolo、ブレーキのBremboなど、レーシング関連のブランドばかり。レーシング コースの内側と外側のファッションが結びついたコレクションだった。

Casper Sejersen, Ambush SS20/FW20

Casper Sejersen, Ambush SS20/FW20
1910年の『ヴォーグ』誌は、「車好きの女性」に向けた記事で、後部座席に座る人ではなく、運転席に座る人のファッションを提案した。「自動車が発明された当初は特定の服装が必要不可欠と考えられたが、その自動車がさして目新しいものではなくなった現在、人々は格別なスタイルに多大な労力を注ぐことを止めてしまった」と、編集者は書いている。そこで同誌が運転手にふさわしいお仕着せとして挙げたのは、体と頭部と手の部分の着衣には丈夫なツイード地、全体に暗い色、毛皮(種類は問わない)、足にはフリース ライニングをほどこしたミドル丈ブーツ。すべて、雇い主をきちんと目的の場所へ送り届けるために必要なものだ。ちなみにドライブウェアの広告は、ほとんどの場合、男性が前部席に座っている構図だった。『ヴォーグ』誌の同じ号に掲載されたRogers & Thompsonの広告で、デリケートなシルクの服に身を包んだ社交界の女性たちが後部座席に座っているのは、そのあたりの社会通念をよく表している。添えられたコピーは、「車から下りたままのドレスで、お洒落な女性たちの集まりに」。それ以後、カー コートの裾丈は短くなる一方だ。Ambushの2020年のコレクションは、遊び心を発揮して、さまざまな運転手の服装から発想したデザインを展開した。春夏シーズンのコレクションでは、セメントを流し込んだ車の前で、レザーウェアやボイラー スーツを着たモデルがポーズをとっている。秋冬シーズンでは、運転席が地中に埋められたベンツと、まさしくチェッカー フラッグ模様のカー コートが隣り合っている。
車以上に、人間の貪欲を象徴するものがあるだろうか? プライバシーとスピードへの憧れを共に満足させる道具、地球を冒す最悪の汚染源のひとつ、遥かなる地平線の襟首を掴んで引き寄せる手段。『ヴォーグ』誌の1953年2月号には、再度自動車をテーマにしてエッセーが掲載された。筆者は、わざわざ、メイフラワー号から新世界へ下り立った入植者たちへ感謝を表している。彼らが川沿いに歩を進め、荷馬車で荒野を横切って道筋をつけたおかげで、後世のハイウェイと文明が誕生したというわけである。「友好的な先住民部族」が手助けしてくれた、のところは歴史の曲解だろう。それに、トラッカー ジャケットはトラック運転手から生まれた衣類ではなく、そもそもは売れ残りのウェスタン ジャケットだった。
上述の号のタイトルは「アメリカーナ 1953」だった。ある種の夢見心地な気分、一種の昂まりがファッションに現れた時代だ。第二次大戦中に米軍の主要な請負企業として経済基盤を固めたゼネラルモーターズは、政府から復員兵に支給される支援金が戦後アメリカ経済を潤すようになると、サイクルの短い計画的旧式化を導入して大衆の記憶をどんどん書き換え、新車を売りまくった。Christian Diorがウェストに拘っている頃、ハーレー・アール(Harley Earl)は、低く長い車体にふんだんにクロームを配した、颯爽たる車をデザインしていた。キャデラックの車体から浮き上がった「テールフィン」は、戦時下の戦闘機と見紛うばかりだ。常日頃、アールは「クルマのラインには目を引く仕掛けが必要なんだから、ラッシュームかゾーングを作れ」と、アシスタントに言い聞かせていたと言う。「ラッシューム」や「ゾーング」という謎の言葉でしか、アールの創意は表現できなかったらしい。
とにもかくにもアールがデザインした車は大変な人気を呼び、友達同士が資金を持ち寄って在庫を押さえるほどだった。アールが65歳で引退した後は、彼ほどの才能を持ち合わせない後継者が続き、「テールフィン」も色褪せた。商業的にも大きな成功を収めた先進のビジョンは、あまりにも奔放であったがゆえに、アール以外の人間が操ることはできなかったのだ。だがそれをファッション デザイナーが見逃すわけがない。ティエリー・ミュグレー(Thierry Mugler)は、クルマやバイクのようなモノに「人間を感じる」ことが大好きだとスージー・メンケス(Suzy Menkes)に語っており、1990年秋冬シーズンの「Buick」コレクションに「キャデラック コルセット」を登場させた。 唸りを上げるメタルがウェストを包囲し、胸元でテール ライトが睨みをきかせているデザインだ。Pradaが2012年春夏シーズンに発表して、今や伝説となったホット ロッド スティレット ヒールも同じくアールのデザインを反映し、小さなフィンとテール ライトが火のついたタバコのようにヒールから突き出している。ジェレミー・スコット(Jeremy Scott)がクリエイティブ ディレクターとなったMoschinoも同様。2016年春夏シーズンのドレスからテール ライトが飛び出ている。ただしこちらは葉巻に近い。過激に我が道を突き進むスコットであっても、アール美学の礼賛は厭わないようだ。
だがアールが姿を消した後の1970年代、デトロイトで製造される自動車は、大きくなるか、小さくなるか、あるいは美的観点から遠ざかっていった。長年にわたり、GM、Ford、Chrysler、という「ビッグ スリー」の後塵を拝していたAmerican Motor Companyは、ファッション企業多数と提携する方法で、商品の磨き直しとショールーム来訪者数の増大を図った。Pierre Cardinは、内側と言わず外側と言わず、ジャヴェリンの至るところにストライプをほどこした。Gucciは、スポータバウトにシグネチャのカラーと紋章を与えた。Oleg Cassiniは、マタドールに持ち前のスタイリッシュな魅力を纏わせた。AMCは、ファッションが得意とするところを期待したのだ。つまり、イメージを作り出し、そのイメージを全世界へ拡張し、デザイナーの美学を浸透させること。その後も、Versace仕様のムルシエラゴ、Victoria Beckham仕様のレンジ ローバー、Hermès仕様のブガッティと、デザイナー自動車のレガシーは継続したが、それでもAMCの救済はならず、80年代にChryslerに買収された。
あらゆるレーシング カーがそうであるように、NASCARに参戦する車も壮観だ。だが現在は、車両の形状のみならず、何らかのアドバンテージになりうる要素は、ほぼ全面的に運営組織から厳しく規制されている。そのため、かつてストックカー レース特別仕様のPlymouthスーパーバードに高くそびえていたリア ウィングのようなエキセントリックな特徴は排除されて、どの車も同じになった。そんな状況で見落とされないためには、車にもファッションが必要だ。かくして、基本的に、スポンサー企業のロゴを貼り付けたビニールの薄膜がNASCAR車両のユニフォームになった。鮮やかな色彩とビジネスが結び付き、資本主義が虹の七色となってトラックを疾駆するとき、あたらしいアイデアが誕生する。例えば、NASCARジャケット。ストックカー レースなどにはまったく関心のない人種が、ピット クルーのユニフォームとドライバーのジャンプスーツから思いついたファッションだ。トリック・ダディ(Trick Daddy)がCNNに語ったところによれば、NASCARジャケットを愛用するのは、別にどこかのチームを応援しているわけではなく、パンツに合わせると評判がいいから。彼のスタイルがみんなの目に留まるのは、もちろんドライブ中ではなく、普通に歩いているときだ。
Melvin Backmanはニューヨーク、ブルックリンを拠点に活躍するライター。『The New Yorker』、『Garage』、『GQ』、『Spook』で執筆中
- 文: Melvin Backman
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: February 13, 2020