私の名前はキロ・キッシュ

LAのミュージシャンが強調する、名前の重要性

  • インタビュー: Kevin Pires
  • 作曲: Saamuel Richard

アイデンティの切り替えがプロフィールの書き換えと同じくらい簡単な現在、ラキーシャ・ロビンソン(Lakisha Robinson)は、何かを名付けることがそれを現実化するひとつの手段だということを知っている。キロ・キッシュ(Kilo Kish)という名のミュージシャンとして知られている彼女は、フロリダに生まれ、LAを拠点としながら、これまでずっと必要に合わせて自分の名前を変えてきた。家族や友達にはキッシュかラキーシャ、ファンにはキロ・キッシュ、将来作りたいと思っているラグジュアリー ブランドでは多分キーシャ(Kisha)を名乗るだろう。ひとつの名前で兼業すれば、心ならずも「わかった、あなたはいろんなものを作るのが好きなのね」と受け取られる。対照的に、異なるペルソナを使えば、音楽の制作からアパレルのコラボレーション、ホテルのアイデアまで、創造的な衝動を進化するプロジェクトとしてひとつに組み合わせることができる。

自らリリースしたノーカットのデビュー アルバム「Reflections in Real Time」という透明な電子雲のなかで、キッシュは、絶え間ない関係を求めるメディア生態系によって複雑化した20代半ばの倦怠とエゴの道程を語る。キッシュが西海岸で見つけた時間と距離がなければ、このアルバムは誕生しなかった。同世代の中で、彼女がこの厄介な力学に立ち向かった最初のアーティストというわけではない。しかし、率直な誠意、自己の認識、皮肉っぽいユーモアの点で、彼女は群を抜いている。

ケビン・ピレス(Kevin Pires)がLAにキロ・キッシュを訪ね、独りの時間、カテゴリー化への抵抗、名前の選択を親しく語り合った。

Kevin Pires

Kilo Kish

ケビン・ピレス:ちょうど数日前に、僕もニューヨークからここに引っ越して来たばかりなんです。あなたも同じ道を辿って来たわけですが、その動機は何だったんでしょうか?

キロ・キッシュ: 私は、いろんな理由で、ニューヨークから離れることにしたの。ニューヨークでは、たいして仕事ができてないように感じていたわ。慌ただしく沢山の仕事をこなして、お金も稼いでいたけど、自分の創造力の核心に迫ってる気がしなかった。

あなたはあちこち移動していますが、自分がいる場所が作品に影響を与えると思いますか?

私がいた頃、ニューヨークの影響力は本当に大きかったわ。私個人にというより、シーンに対して。でも、LAに来てからは、独りで過ごす時間がとても多くなったの。何日でも、独りで家にこもっていられる。ニューヨークでは、2日と独りになったことはなかったわ。

みんなが連絡を取ろうとしてくるから。

そう。それとか、スーパーに牛乳を買いに行くだけで、10人の知り合いに会うことになるの。「ちょっと僕といっしょに来なよ」ってなって、結局遅くなってしまう。メールと同じ。朝、メールをチェックすると、たちまち他人のスケジュールに巻き込まれてしまう。それがニューヨーク。絶対に自分で100%コントロールできない。私の場合、仕事を終わらせようと思ったら、週の大半を独りで過ごす必要があるの。LAは好きだわ。集中できるから。私は簡単に気が散ってしまう人間なの。

すぐ気が散ってしまうというのは、僕たちの世代のトレードマークですね。独りの時間の価値を分かってないし、その恩恵を理解してない。

ミレニアル世代って、独りの時間にいらいらするのよね。自分だけ乗り遅れてるんじゃないか、っていう気違いじみた恐怖がある。独りの時は自分の考えしかないけど、私たちにはとんでもなく集団思考が染み付いてる。自問する必要があるわ。「これこれについて、自分は実際にどう感じてるの?」って。私が今直面しているのは、全く正反対のこと。ずっと独りでいるもんだから、無理にでも、自分を現実と向き合わせなくちゃいけない。「あっ! そう言えばソーシャルメディアをやらないと」って感じ。ほんとに変な気分だわ。私がアートで探りたいのは、社会が何を受け入れるのか、何を受け入れないのか、ステレオタイプにならないで自分を表現するにはどんな方法があるのか、ということ。終わりのない対話だわ。

アイデンティの形成。「Reflections in Real Time」の中でやろうとしていることですね。

20代の始め頃は、自分のやることを上手くこなせるかもしれないけど、まだ自分の性格の癖に十分気付いていない。20代の半ばでも、もしかしたら30代とか40代に足を踏み入れてもまだ、人の神経を逆撫でする自分の行動に完全には気付かない。気付き始めると、小さな罪の意識が生まれるの。「何てこと。違うやり方はできなかったのかしら? どこを変えられたの?」って。

そういう状況にどう対処しますか?

別にそんなことする必要はないわ。アーティストだから。逆に、私の制作の助けになってるわ。

ミレニアル世代って、独りの時間にいらいらする

「Existential Crisis Hour」では、沢山の疑問を表現していますね。「他人が私を見るように、自分で自分を見るようになれるのかしら?」とか。永遠に自問するタイプの疑問ですね。

本当にみんながこういう疑問を自分に問い続けるのか、それは知らないわ。私自身、こういう疑問をずっと抱えてきたわけじゃないし。長い時間ずっと独りで過ごすようになって、初めて湧いてきた疑問なの。ニューヨークでは、こういう疑問に思いを巡らせる機会がなかった。忙しくて、自然に物事をじっくり考える余地が私の頭にはなかったわ。たくさん本を読んで、昼も夜もずっと独りで過ごしているうちに、鬱になったわけじゃなくて、「何これ?」っていう感じになったの。

あなたの作品には、あなたが非常に傷付きやすいことが、はっきり現れています。ちょっと身を隠す時だって思うことはありますか?

もちろん。けっこう1日おきぐらい。音楽をかけている時とか、自宅にいる時とか、私の5人の友達と話をしている時以外はね。まだイベントに出かけたりするけど、今は楽しい。今はかなり仕事をしてるから。実際に人と会って、話をするのは良いことよね。アートの中に隠れる必要なんてないと思う。パフォーマンスに関する限り、アートはそのままの状態であるべきだって思ってきたわ。アーティスト自身も露出すべきだなんて、考えたこともなかった。音楽業界がそれをもう少し尊重してくれればいいんだけど、そうではないわね。みんな、ひとつの次元に慣れてしまっているのよ。でも、私たちの世代はもっと多次元的になるでしょうね、基準にする枠組みの数が増えてるから。だから、ステージで演奏したいと思うと同時に、自然の中にいたいとか、政治家になりたいとか、思うかもしれない。

今日、クリエイティブと呼ばれる人々には、芸術的に多彩であることが不可欠です。あなたが使っている様々な媒体は、互いに影響し合っていると思いますか?

私は、それぞれ、分けて考えてるわ。頭の中で、ひとつひとつ切り離してる。10年後に振り返ってみたら、もちろんお互いに影響し合っているだろうけど。今は、できる限り、切り離して考えるようにしてるの。作業している対象ごとに、完全に別々のムードボードや資料があるわ。私はラキーシャ・ロビンソンだけど、最終的に「これにはキロ・キッシュのムードボードが合うわ」ってなることがある。Kitty New Newっていう音楽プロジェクトを制作したかったら、また別のムードボードになる。それはラキーシャとも切り離されているの。

では、どうやって、ビジョンの整合性を保ちながらコラボレーションするんですか?

「ノー」という方法を身に付けないといけないわ。私はしょっちゅう「ノー」と言って断ってる。「ノー」のせいで実現しなかったことが沢山あるから、その意味では、自分で自分を葬っているみたい。報酬がスゴく良くても、スゴいチャンスでも、知名度が広がるチャンスでも、自分が誇りを持てる結果にならないんだったら「ノー」と言うしかないわ。私はそれほど多くのアーティストと仕事はしないけど、いっしょに仕事をする人たちの能力やコンセプトはとても信頼してるわ。お互いに尊重している。もしあなたが私のレコードに参加するとして、もう全体のアイデアが固まっていたら、あなたの方が私の世界に入ってきて欲しい。逆の場合は、私があなたの世界に入っていって、私が本来やることは多少犠牲にしてでも、あなたのためにあなたの仕事を完成できる。

そうやってレイマン(Leyman)とのTシャツが生まれたんですか?

私たちふたりとも、ニューヨークのMiss Lilyというレストランで働いてたことがあるの。まだ大学生の頃だったけど、いっしょに、バッグとかカットソーを作ろうとしてた。“Reflections” Tシャツの場合は、「私、もう良いアイデアが湧かないから、きちんと仕上げられる人に声をかけよう」って思って。私の家は彼のアートだらけよ。アルバムを渡して「これを聴きながら、何でもいいから描いてみて」って言ったら、完璧にやってくれたわ。

その他に、刺激を受けるアーティストは?

ジョン・バルデッサリ(John Baldessari)が好き。50年代から60年代のLAのアーティストのスタイルが好きなの。消費者アートなら、村上隆がほんとに大好き。ファッションにもグッズにもホームウェアにも展開できる彼のやり方が、私のマルチな頭に訴えるわ。

あなたも同じようなやり方で仕事をしていますね。その衝動はどこから来るのですか?

私はものを作るのが好きだから。肩書を沢山持つのは好きじゃないけど。「わかった、あなたはいろんなものを作るのが好きなのね」って感じで。試してみて、うまく行けば成功。シューズのアイデアもあるし、カウチのアイデアもある。ホテルのアイデアもあるわ。総合的な創造のプロセスなの。もう先へ進めないってところまで、私は突き進むわ。誰かが私を止めるまで。

アートで探りたいのは、社会が何を受け入れるのか、何を受け入れないのかということ

ビヨンセ(Beyoncé)やケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)のように、政治色の濃い黒人アーティストの作品が商業的に成功することを考えると、作品を通して自分の意見を表明する必要を感じますか?

私の作品は、常に、アメリカの黒人アーティストが抱える問題に呼応しているわ。そのひとりとして、対処しないといけないことだから。はっきりその問題に関するレコードを作らなきゃいけない、とは思わないけどね。歴史を通じて、特に今、自分たちの権利を獲得して、それについて正々堂々と意見を述べるという点で、私たちは60年代や70年代に似た時間や空間にいると思うわ。 60年代や70年代には、今と同じテーマに関連したプロジェクトが山ほどあった。2016年になって結局、そこへ戻って来てるんだと思う。もっともっとやることがあるだろうし、そうあるべきだと思う。当時、それとは関連しないプロジェクトがたくさんあった。今も、関連しないプロジェクトが山ほどある。誰もがアーティストで、それぞれ、いちばん自分の心に響くことに対して自分で対処しないといけない。何があなたを刺激しようと、そこからヒントを得て、全力で押し進めないといけないわ。

あなたは名前について、よく質問されますよね。名前を操るのは、色々な人間になれることを示しているのでしょうか? 定義に抵抗する手段ですか?

その通りよ。私は、子供の頃からずっと、キッシュと呼ばれてきたわ。私のベビーシッターがそう呼んでたから。中学校に入ると、キーシャ(Kisha)っていう名前の子が沢山いたから、キッシュっていう名前がもっと好きになった。「キッシュの方が好き。もっと私に合うような気がする」って。フロリダで育ったでしょ、私。アイスクリームの売店とかどこかの店で働きたいって応募しても、ラキーシャ・ロビンソンっていう名前だと、誰も折り返しの電話をくれないのよ。名前が不名誉を背負っているなんて間違ってる。不名誉って言葉ですら、間違ってると思う。だって、基本的に、私の名前からゲットーを連想してるだけなんだから。私は、とんでもなく共和党寄りの白人エリートっぽい高校に行ってたんだけど、みんな音節が5つある適当な名前を作って、「私はラションダ(Lashonda)」とか、言って黒人のモノマネをしているの。なんだか知らないけど、ラキーシャもそういう名前の仲間なのよ。私のマネージャーのジェイ(Jay)は、かれこれ3年、ブランドを始めさせようと私を焚き付けてるの。私は、「今すぐ始める必要はないわ。30歳になったらできるから。40歳になったらできるから。今はこれに集中しているの」って答えてたの。そしたら、「名前だけでも考えておけば」って言うのよね。だから、ふたりで色々変な名前を考えたんだけど、私が「単純にキーシャにしよう」って言ったの。今までその名前で呼ばれたことはないから、完全に自分って気がしない。私のことだけど、そうでもない。それからもう一段階進んで、「ラキーシャって名前のラグジュアリー ラインも作るべきね。私が昔受けた侮辱を逆手にとって 」ってことになった。「カシミアとかレザーとか、高級な商品はラグジュアリー ラインのラキーシャに入れるの。とってもお洒落なラインにしましょ」。私は、人の期待と違うアイデアで遊ぶことが好きなの。期待されていることをやったって、自分の何が語れるのかな?50年か60年経って、キーシャって名前がChanelやGucciと同じ意味で使われるなんてスゴいことじゃない? スゴいよね?

  • インタビュー: Kevin Pires
  • 作曲: Saamuel Richard
  • スタイリング: Mar Peidro