冬をハッキング
クセルクセス・クックとラ・ゴメラ島を探検する
- 文: Xerxes Cook
- 写真: Xerxes Cook

クイズをしよう。
氷河期以前にヨーロッパ大陸の大部分を覆っていたような熱帯雨林が、今なおヨーロッパで唯一残存する場所は? あまりにも峻険な地形なので、25キロを横断するのに2時間かかり、洞窟にはドイツ人が住んでいて、まもなく世界でも有数のスピードを誇るwifiが利用できる場所は? この場所は、生態学のパリンプセストか? 地理学の深遠な思考実験か? 地質学の抽象表現作品か? アート作品に作り変えられた地球か?
これは、僕が今まで見た中で、もっとも3Dな場所の話である。
僕が今まで見た中で、もっとも3Dな場所の話

マドリッドよりも西サハラに近いラ・ゴメラ島は、年中を通じて、海で泳げるほど暖かい。500万年の歴史はカナリア諸島の中ではいちばん若く、ハワイと同じ程度。火山島に関する限り、思春期を迎えたばかりの初々しい場所だ。非常に多数の固有植物が生育することから、スペインのガラパゴス諸島と呼ばれることもある。
新世界へ向かったコロンブスが、行きも帰りも最後に立ち寄ったラ・ゴメラ島の首都サン・セバスチャンは、「アイラ・コロンビーナ」の名で通っている。以来、人も植物も大西洋を横断してきた。緑濃い島の北部ではパッションフルーツ、パパイヤ、アボカドが自生し、陽光溢れる南部ではアガベ、アロエなどのサボテン類が繁茂する(非常に珍しいマジックマッシュルーム以外は、どの固有種も食用には向かない)。



ある冬、僕は、ロンドンからできるだけ暖かい場所へできるだけ安上がりに逃避できないものかと、グーグルアースをあちこち眺めていた。そして、ラ・ゴメラ島が目に留まった。上空からの2Dイメージでは、いびつな形のオレンジを真っ二つに切ったように見える。ほぼ垂直に切り立った渓谷が一房ずつを区切り、霧の立ち込める森の尾根が皮の内側の白い部分、岩の転がる浜辺や断崖絶壁が外皮。枝から苔類が垂れ下がるガラホナイ国立公園の照葉樹林は、標高1000メートル以上で成育し、島の中心には沿岸部より10度涼しい霧が漂う。

気候は温暖だが、そんな地形での生活は苛酷以外の何ものでもない。ゴメラの住人は「シルボ」または「シルボ・ゴメーロ」でコミュニケーションをする。これは渓谷を越えて5キロ離れた場所まで届く独特の口笛言語で、険しい山腹を横断する手間と時間を節約する。短距離の場合、羊飼いは「サルト」と呼ばれる4メートルの高飛び棒を使う。危険な田舎版パルクールと言ったところだが、この話は次回に回そう。YouTubeを参照のこと。
シルボは、スペイン領マカロネシアの最僻地で話される方言の音声を模倣して、あらゆる音を4つの子音と2つの母音に圧縮する。それだけで、夕飯ができたとか、群れを外れたヤギがいるとか、十分に伝達できる。しかし今では、ラ・ゴメラ島の深奥部でも4G接続が利用できる。2017年には、光ファイバーケーブルが全域に設置されて、300mbpsのインターネットが実現する。そのため、シルボはUNESCOの無形文化遺産に登録され、保存するために、ゴメラの小学校で子供たちに教えている。
人類が比較的安全な地溝帯を越えて移動したときや、6万年前に遂におかしな形のマッシュルームを口にしたときのことを考えよう


シルボはまた、人類が言語を発明した経緯を解明する研究にも使われている。指の動きや唸り声から、どのように言語が発展し、言葉や文章(や絵文字!)が生まれたのか? それは、今なお謎に包まれている。断続平衡が言語の出現を促したとする説もある。すなわち、環境に前例のない複雑性が発生した時期には、生物学的に新しい能力やツールが急速かつ飛躍的に発達する形で自然が反応する、という考えである。人類が比較的安全な地溝帯を越えて移動したときや、6万年前に遂におかしな形のマッシュルームを口にしたときのことを考えてみよう。ついでに、考察してみよう。
地形と比較的孤立した大西洋上の飛び地という立地にもかかわらず、あるいはそのおかげで、ラ・ゴメラ島ではオルタナティブな暮らしを探る多数の実験が細々と行なわれてきた。中でも悪名高いのは「エル・カブリート」。ウィーン・アクション派アーティストのオットー・ミュール(Otto Mühl)をリーダーとして、ドイツの冬を逃れたフリードリッヒスホフ コミューンが建設した住居である。渓谷を背にコミューンが占拠した入り江は極度に乾燥して、映画「127アワーズ」で腕を切り落とすジェームス・フランコの姿が脳裏に蘇る。


200人程度の信奉者がここで共同生活を営んだのは、80年代も終わりを告げようとする3年間だ。核家族や私有財産という「閉鎖的な束縛」、平たく言えば一夫多妻制の転覆を目的に、農耕と1日に5人との性交を提唱したミュールは、1991年、ヘロインの使用と未成年者との性交により投獄され、信奉者の大多数はポルトガルのアルガルベ海岸へ引き上げた。現在、エル・カブリートは共同生活スタイルのリゾートとして運営され、ドイツ語圏の持続型農業や絵画に興味を持つ若者に利用されている。
誇大妄想狂だったオーストリア人アーティストを別にすれば、この島は60年代から、放浪者や求道者や夢想家などのヒッピーを惹き付けてきた。兵役から、大詰めを迎えた資本主義から、そして冬から逃れたヨーロッパ人が、シルクロード沿いに、東ではなく西へ向かってラ・ゴメラ島に行き着き、古い農家を改修して自給自足の生活を始めた(僕が知る限り、メスカル酒を蒸留したり、幻覚剤DMTの希薄を試みている者はいない。大西洋を横断したそれらのファイルは、どうやらここではまだダウンロードされていないようだ)。アメリカの思想家テレンス・マッケナ(Terence McKenna)の著書「アルカイック・リバイバル」を額面どおりに受け取って、島の原住民グアンチェ族が500年前にやっていたのと同じように、海辺の洞窟に居を構えた人たちもいる。それも良いかも知れない。どのみち、菜食主義者に電子レンジは不用だろうから。
地形と比較的孤立した大西洋の飛び地という立地にもかかわらず、あるいはそのおかげで、ラ・ゴメラ島では、オルタナティブな暮らしを探る多数の実験が控えめに行なわれてきた


地に足の着いた中年のドイツ人ハイカーも少なくない。お互いに問題はなさそうだ。彼らがここに集合する様は、ヨゼフ・ボイスが提唱した社会彫刻というより、シュールリアリズムのコラージュ的雰囲気が強い。数年前にドイツのアンゲラ・メルケル首相が夏期休暇を過ごしたホテル ジャルダン テシナ(雇用も水資源も不足している島で、唯一のリゾート兼ゴルフ場)からほんの5分歩くだけで、フレイガイスト・フォン・リーベンスクンスト(Freigeist von Liebenskunst)のような人がいる。ヒョウ柄のレギンスとスカートに、伸びるにまかせたヒゲが日焼けで色褪せたフレイガイストは、まさしく遭難したジム・モリソンといった風情だ。彼は、海岸沿いのいくつかの洞窟と山中の農家を所有し、荒れた砂漠地帯を緑化したり、旅行者を相手にランドアートのワークショップやグアンチェ族の足跡を辿るハイキングを提供して生計を立てている。「人間の家畜化」という興味深い論文を執筆し、子供を再び野に放つことで「人間の家畜化」を克服できると主張する。 僕はここで出会う人たちが好きだ。

- 文: Xerxes Cook
- 写真: Xerxes Cook