少で足る:
SIMONE ROCHA
ロンドン旗艦店
「ユーザー体験」店舗訪問シリーズ: 建築評論家 ジャック・セルフがマウント ストリートを訪れる
- 文: Jack Self
- 写真: Simone Rocha提供、Jack Self



空間は空っぽだが、
ミニマルとも言えない。
そこが重要な違い
ショップのインテリア デザインは、主として、スタイルの問題だ。特定の素材や物体がどのようにまとまって、雰囲気あるいは欲望のオーラを作り出しているか? ショップのインテリアは、言ってしまえば、顧客に財布の紐を緩めさせることが目的なのだ。それに対して、店舗の立地つまり周辺の環境や都市との関係は、ブランドが存在する時代や場所という基本的な問題と関わってくる。ターゲットとする顧客は? 自社の服が似合う理想の集団は? その集団が出入りする場所は?「Balenciaga パリ店」でも書いたが、場所選びの戦略は非常に緻密な魔術であり、往々にして、ブランドやその親会社グループによる複雑な場所取りの結果である。
ファッションでも、不動産と同じく、立地がすべてだ。
Simone Rochaのような単独ブランドの場合、BalenciagaやLouis VuittonやDiorとは事情が違う。有名ブランドや巨大ハイ ファッション企業のように伝統に縛られないから、事実上ロンドンのどこでも、好きな場所を選べる。したがって、どの地域、どのエリア、通りのどちら側...すべてが熟慮の対象になる。潜在的な購買層やその社会経済状態との密接な関連に基づいて選択された立地は、Simone Rochaが投射するブランド イメージを雄弁に物語る。
旗艦店はマウント ストリートのほぼ中ほどにある。ロンドン全域でも、いちばん高級で高価なエリアのひとつだ。マウント ストリートは、片方をアート競売の「Phillips」と「Porsche」ディーラー、もう一方をイギリス一の豪華レストランと呼び名の高い「Scott’s」に挟まれた短い通りで、その間に5つ星ホテル「The Connaught」がある。ここのバーは、ロンドンでいちばん高いドリンクを出すことで有名だ。「The Connaught」に隣接して、紳士御用達の煙草専門店、高級カスタム活版製版店、そしてCéline、Balenciaga、Loewe、Lanvin、Marni、Marc Jacobsなどの高級ブランドが軒を連ねる。Simone RochaはScott’sの向かいにある。
初めて訪れたときは、改装の最中だろうと思った。店内に何もないように見えたからだ。しかしよく見ると、白い壁の中に奥まって2本のレールがあった。店舗空間の中央には透明な台座があって、ほんの数足、白いレザー シューズが載っている。ロシャが透明樹脂の什器を多様するのは有名だ。角度によっては、反射の加減でほとんど見えなくなる。その他に店内にあるものは、わずか3つ...目の粗い白土で作られたスツール、中に蜂の巣を入れた大きなアクリルの箱(ただし蜂はいない)、そしてウィンドウの近くに置かれた中国の彫刻家シャン・ジン(Xiang Jing)の作品「The End」。
独創的なこの作品は、向かい合わせで同じポーズをとっている等身大の女性像2体で構成されている。ふたりともサマードレスを着て、ガラスのウィンドウを通して反対側を覗き込むように、両手を持ち上げている。一方が他方の反射像か、もしかしたら両方が反射像なのかもしれない。泉に映った自分の姿に夢中になるあまり、最後は水中に落ちて溺れ死んだ、有名なギリシャ神話のナルキッソスを連想させる。手を丸め、ガラスに映った自分の姿を通り越して店内を覗き込んでいるような女性の姿は、最大級の情熱の表れだ。それが何を意味するのかは分かり辛い。シャンの作品の多くがそうであるように、シャンが「心理の真実」と呼ぶものは謎めいている。それでもなお、「The End」には漠然とした皮肉もしくは憂鬱が感じられる。あたかも無謀な自棄とマウント ストリート自体の退廃を窘めているような、そんな表現をファッション店が使ったのは意外だ。

「少で足る」は、
もっと受容的な
アプローチ
Simone Rochaの旗艦店は、デザインされたインテリアとは言い難い。明白なコンセプトや全体を意図した効果がないからだ。空間は空っぽだが、ミニマルとも言えない。そして、そこが重要な違いだ。ミニマリズムは、本来、エリート主義の美学である。なぜなら、わずかしか持たないという選択は、多くの場合、極めて特権的な立場にしか許されない行為だから。ジョージ・オーウェル(George Orwell)が『ウィガン波止場への道』で書いたように、金持ちはすべてを諦め、オレンジジュースとクラッカーだけの朝食に満足できる。だが、そうでない我々は、わずかなもので幸せにはなれない。富を持たない不安を埋め合わせるために、余分の何か、ちょっとした褒美を欲しがる。
ミニマルな空間とは、緊張感が充満した空っぽの場所だ。例えば、修道士の部屋、白い壁に囲まれたギャラリー、1990年代のCalvin Kleinのショップ。ミニマリズムは、余分なデザインの一切を剥ぎ取る。薄く黄色がかった光の束だけを見せるために、照明器具は埋め込まれる。電源は光沢のあるコンクリート床の下に隠される。食器棚の取っ手さえ排除されて、プッシュ式の開閉に変えられる。取っ手がなくなった代わりに、指紋の跡を際立たせることになるのだが。Simone Rochaの店舗は、まったくその類ではない。店舗の根本的な特性を排除しようとする試みはまったくなされてない。単に飾らない箱なのだ。グレーの床と建造された19世紀当時の特色をそのままに隠さず見せる、簡素な部屋だ。正面と裏側のウィンドウさえ、19世紀のオリジナルだ。
「Less is More − 少は多を兼ねる」は、ドイツ人建築家ミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Rohe)が提唱したスローガンである。そして何十年にもわたってモダニズムを推進する独断的なマントラとなり、最終的には前述のようなミニマル空間を誕生させた。イタリア人建築家ピエール・ヴィットリオ・アウレリ(Pier Vittorio Aureli)は、2013年に発表した「Less is Enough: On Architecture and Asceticism 」(仮題:少で足る − 建築と禁欲主義について)と題する短いマニフェストで、「簡素なスタイル」は反逆のスタイルであるとし、スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)その他から連想する専心的で禁欲的な苦行ではないと主張した。「少は多を兼ねる」の考えは、所有するものを減らしもっとも芸術的でもっとも高価なもの以外すべてを投げ捨てることを、道徳的に優れた生き方として力説する。個人の所有物を減らすことができない者や、装飾を含め、あらゆる表面的なものを生活から排除できない者を見下す。それに対して「少で足る」は、もっと受容的なアプローチを提唱する。洋服を全部処分しろと命令する代わりに、もっと買うことが本当に必要かを問う。今持っているもので、おそらく充分ではないか。
今あるもので充分だとする考えが、Simone Rocha店舗の本質だ。空っぽの空間は強制されたものではない。ものの不在から「少は多を兼ねる」と唱える精神の説教臭を引いた空間だ。このような受容的な空っぽの空間が体現する意義、この店舗が興味を喚起する理由は、これほど高級な一流の立地にありながら空っぽにしておく、まさにその豪胆さだ。非常に地価の高い空間を、何気なく控えめに使うのは勇気のいることだ。商業的には無謀との瀬戸際だ。だがSimone Rocha旗艦店は、ライフスタイルや価値基準、あるいは全商品を顧客に押し付けることなく、過激な傍観を試みる。ロシャが空間にほとんど手を加えないのは、おそらく現状で充分だから。消費する自由より、消費を強要するプレッシャーの不在こそ贅沢であることに、私たちは気付く。

- 文: Jack Self
- 写真: Simone Rocha提供、Jack Self