これがあなたの最期のスタイル
終末まで着るJunya Watanabeのジャケット
- 文: Kevin Pires
- 写真: Kenta Cobayashi

ブラジルのアウトサイダー アーティスト、アーサー・ビスポ・ド・ ロサリオ(Arthur Bispo do Rosário)は、半世紀以上のあいだ、精神病院の壁の内側で作品を作り続けた。ロサリオは、1983年、修道院の僧侶の一団を前にして、自分は生者と死者を審くために送られて来たイエス・キリストであると宣言したために、施設に送られた。生涯をかけて収集した廃品で作ったマントを、彼は神の裁きの日に着るつもりだった。それは、終焉した時が絡み合う生態系であり、無限に想像を巡らせてもなおかつ完全に理解しえない、最後の日の衣服であった。
耐え難く気温が急変し、終末が近付くとき、私たちが最期に着るのはいったいどんな服だろうか? Comme des Garçonsを率いる川久保玲の愛弟子であった渡辺淳弥も、ロサリオのように、新旧の合成から未来の成形を試みてきた。渡辺自身が「テクノクチュール」と名付け、誇張的装飾の作風を不動にした2000年の斬新な秋冬コレクションは、過去の形式を作り変えて新たな千年紀を迎え入れた。彼は、テクノロジーの中へ伝統を取り込んだ。

渡辺淳弥が描く未来は、形と機能を崩壊させる。このジャケットに並ぶ柔らかな光を放つソーラー パネルは、美へ変換した実利要素である。ポケットに入れたままでも、使うときでも、携帯電話の電力は消費するより早く充電される。このような円形の関係は、新しいデジタル世界の親友兼相談相手と私たちの関係を正確に映している。私たちは、太陽の代わりにスクリーンを見つめ、永遠にリフレッシュが続くサイクルに閉じ込められる。
このJunya Watanabeコレクションは、私たちが戸外で終末を迎えることを想定していた。それは、哲学的な概念というより、実用のコンセプトである。戦闘など目にすることもないかもしれない世代の、ミリタリー ウェアだ。世界が暗闇のさらに深部へと下降するとき、人が自らの内側へ向かうのを責めることはできない。人間性への信頼は、めったに見失われることはないものの、近年は誤った方向へ向かっているのかもしれない。とにかく、どのような終末になろうと、温かい服と拳銃の携帯を忘れないことだ。
- 文: Kevin Pires
- 写真: Kenta Cobayashi