新潮流、ミスコン スタイル
注目を集めてやまないMiu Miuのリボン、Simone Rochaのティアラでミスコンの女王が日常を覆す
- 文: Erika Houle

ドリー・パートン(Dolly Parton)は1977年のインタビューの中で自分の外見について尋ねられ、「私はファッションで注目されるほど落ちぶれるのは絶対に嫌」と返している。「それって世界でいちばん簡単なことだから」。上から下まで全身ターコイズ ブルーのシルクの衣装に身を固め、彼女のシンボルでもある逆毛立てたプラチナ ブロンドのウィッグには揃いの青緑色のバラを挿している。そしてこう続ける。「ショー ビジネスっていうのは金儲けのためのジョークなの。もちろん、私はずっとジョークを言うのが好きだったわ」。その数十年後、皮肉にも、ファッション業界は、この伝説的人物のユーモアのセンスを真似ようとしているように見える。2019年の秋冬シーズンでは、パートン風ミスコン スタイルが着実に増えていた。Balmainの誇張したリボン、どちらかというとデコレーション ケーキのように見えるマキシマムなボリュームのRodarteのドレス。そして、Gucciの2019年春夏コレクションに登場した、パートン自身の顔をデザインしたいくつかのアイテムはもちろんのこと、クリスタルでできた王冠のアクセサリーまで、いつでもステージに立てるようなスタイルが次々とランウェイに登場した。デザイナーたちは、ビューティー クイーンのスタイルの恩恵に預かっているのだ。
今年初め、ファッション界では、「オート クチュールの再燃」が見られた。トレンドの流行り廃れについていくことが出口の見えない過酷な作業と化した現代、大手ブランドは、流行を追うより、自らの歴史的なルーツに立ち返るようになっているのだ。手作りの特別注文のドレスほど、スピード ダウンが必要だ、という思いを強固にする服はない。Valentinoの2019年オート クチュールで、巨大なリボンをあしらった黄色いドレスを見たセリーヌ・ディオン(Celine Dion)は、感動のあまり涙を流したほどで、涙する彼女の姿はバイラルになった。また、乙女のミスコン用ドレスの救世主と考えられているMuglerのティエリー・ミュグレー(Thierry Mugler)は、かつてランウェイでモデルたちにバービーのようなプラスチック製のウィッグを被せて、ミスコン用の番号を持たせた、1991年の春夏コレクションのショーの記憶を呼び起こすかのように、最近露出を高めている。カーディ・B(Cardi B)が、グラミー賞のレッドカーペットにMuglerのヴィンテージ ドレスでドラマチックに登場したかと思えば、現在モントリオールで開催中されているミュグレーの展覧会「Couturissime」には、プレ オープニングにわざわざキム・カーダシアン(Kim Kardashian)を招待するといった具合だ。この潮流は、Giambattista Valli、Miu Miu、Molly Goddard、Off-Whiteだけでなく、Balenciagaのミスコン出場者のタスキを彷彿とさせるステートメント スカーフにも当てはまる。あるいはSimone Rochaのように、ティアラやパールの胸当て、黒のサテンを取り入れたスライドが、ヒラヒラしているようで、案外落ち着いた華やかさを醸し出すシルエットであるために、ランウェイを歩くモデルが、新米ミスコン女王というより喪中のミスコン女王を彷彿とさせるスタイルにも当てはまる。また、ゴス系のお姫様風ドレスを着たクロエ・セヴィニー(Chloë Sevigny)にも同じことが言える。Converseのように、あらゆるトレンドをうまく取り入れつつも、これまでその伝統的なスタイルからさほど大きくブレることがなかったブランドでさえ、今シーズンは、独自の解釈を披露している。それが、波型の飾りに、フリルのようなトリムがついた、プリマドンナのためのChuck Taylorだ。これらはいずれも、先の2018年秋冬に見られたプロムドレス風シックのトレンドをさらにアップグレードしたものだ。そして、セレブのスタイリストたちは、ためらうことなく、このお祭りの盛り上げ役に徹している。今年のアワード シーズンは、ミスコン風ピンクが最も多く見られた。そんな中、ビリー・ポーター(Billy Porter)のベルベットのタキシード ドレスは、まさに「主演男優」が何たるかを体現していた。
控えめなBatshevaのドレスや、身軽で、スタイリッシュな定番のスリップ ドレスと違い、ミスコンの参加者のような格好で表に出ることには、どこか、子どもの頃に夢見た、想像のドレスアップの豊かさがある気がする。衣服というよりはコスチュームに近い。これは、パフォーマンス重視の私たちの世代を反映しているのかもしれない。ソーシャルメディアは、Z世代にひとつの巨大な美人コンテストのプラットフォームを提供する以上に、一体どんなことをしてきただろうか。アルゴリズムの障害と、「コンテンツ」という荒涼とした虚無に直面するとき、ミニマリストのアプローチでは、到底対抗できないのだ。人より目立つには戦略を要する。大きければ大きいほど良いのだ。Viktor & Rolfのミームを取り入れたドレスは、今年の「キャンプ」をテーマにしたメットガラを考えると完璧なタイミングだった。不釣り合いなまでに巨大な花のアップリケや、スパンコールや、パフ スリーブがついている。そして極彩色で、これでもかと宝石をちりばめた、キラキラのスイムウェア。自らを世界へ向けたちょっとしたプレゼントや宝物のように表現し、デカダンスそのものを身にまとい、いわゆる「ロールモデル」になることには、ある種の魅力がある。「できるようになるまで、できるフリをしろ」という言葉の通り、非の打ちどころのない、堂々たるセルフィーを完成させることは、エントリーさえしていなかったコンテストで優勝するようなものなのだ。

この変化は、最近のファッション界に見られる、芝居がかった演出の人気にもつながっていく。最近のChanelの「Take a Chance」の広告は、ダンスのパフォーマンスで主役のポジションを選ぶための実際のオーディションを映像化したものだ。セリーナ・ウィリアムズ(Serena Williams)とNikeの「Queen」コレクションでは、きらびやかなスニーカーと優雅なドレスが発表された。Off-Whiteがアスリージャーにフォーマルな服をかけ合わせることで、チュチュはテニスコートさえ支配するようになっている。Gucciの2019年秋冬コレクションには、ハンドバッグやヘアピンを中心に、マーサ・スチュワート(Martha Stewart)にインスパイアされた、まばゆいばかりのアイテムが溢れていた。そしてVivienne WestwoodやJunya Watanabeのショーが、ホール(Hole)の『Live Through This』のアルバム カバーのミス・ワールドから影響を受けたかのような演出だったことも含め、今シーズンはメイクアップのスタイルまでが、90年代後半から2000年代始めメロドラマチックなきらびやかさに回帰している。「メイクをしない」ためのコスメとして知られるGlossierでさえ、「Play」という新たなラインを立ち上げた。明るい色のグロッシーな口紅や、キラキラ光るジェル アイシャドウなど、ブランドのスタンダードからすれば、これらはコスチュームのような、邪道といえるものだ。現に、ミスコンというジャンルは、多くの争論の的となっている。水着審査とイブニングドレスという、もっとも露出度の高い服とかさばる服の両方が登場するし、スティーブ・ハーベイ(Steve Harvey)は2位の人と優勝者を間違ってしまったし、トランプ大統領が保持していたミス・ユニバース機構の所有権は売却された。ミシェル・ファイファー(Michelle Pfeiffer)からプリヤンカー・チョープラー(Priyanka Chopra)、ソフィア・ローレン(Sophia Loren)、オプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey)まで、ミスコンに参加したことで名誉と富を手にしたアイコニックな女性たちの足跡、あるいはハイヒールで闊歩する歩みを、私たちが追いたくなるのも無理はない。
当然ながら、このきらびやかな時代の裏についても語るべきだろう。今の時代、予定はキャンセルして、自宅で夜な夜な、大失敗に終わった詐欺フェスを扱ったドキュメンタリーを見るというのが、標準的な過ごし方である。そもそも社会全体の立て直しが必要であるときに、なぜわざわざ外出のために身支度する必要があるだろう。どのみち、どこにいようが、証拠を捏造することはできる。ビューティー クイーンになっても、向かう先はバスタブだけ。これが新たなスタンダードなのだ。ラナ・デル・レイ(Lana Del Rey)の歌詞や、ビヨンセ(Beyoncé)の「Pretty Hurts」のにじんだマスカラ、 リッキ・リー(Lykke Li)の「So Sad So Sexy」に共感する。失敗したセルフ ケアと同じで、いくら甘やかされて、めかし込んでいるように見えても、世界に飛び出す準備はまったくできていない。「おしゃれしたってどこにも行くところがない」というのは、もはや不満ではなく、面倒を避けるための一種のツールならぬ、チュールなのである。
Erika Houleはモントリオール在住のSSENSEのエディターである
- 文: Erika Houle
- 翻訳: Kanako Noda